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まほろば 奈良教会長コラム

令和五年 11月度 ご法話を学んで

2023.11.1

【佼成11月号】

(朗読 MP3)



十月十五日にTHE KASHIHARA
(旧橿原ロイヤルホテル)に
おいて奈良教会発足50周年記念式典を
皆さんのご理解とご支援によって
無事挙行することができましたこと
心より御礼申し上げます。

また、この場を借りまして、
御参集下さいましたご来賓の方々をはじめ
ご祝意をもってお越しくださいました
皆様に置かれましてはご多用中にも
関わらずのご礼賛、
重ねて御礼申し上げます。

頂戴しましたご祝辞を拝受し
今後の地域との連帯と自身の仏道精進を
お誓いさせて頂きたいと思います。
さて、令和5年度最後の月、
佼成11月号「愚痴はほどほどに」
に学ばせて頂きたいと存じます。

前項、
【「知」が「病む」と「痴」になる】
から、
今年の夏は暑く長く続き、
つい最近まで半袖でも
可笑しくない状況でしたが、
その際に言っても
どうにもならないことに対して
「暑い、暑い」
と誰に言うでもなくグチグチ呟いていた
自身を思い返すと赤面するばかりです。

ここで、天地自然のありようや
過去のできごとなど
【いっても仕方のないことをいって嘆く】
ことを
「愚痴をこぼす」
というのだそうです。

また、〈痴〉という字についても
(知がやまいだれに囲まれた状態)
という例えもあわせて、
知識ではわかっているけども
正常ではない状態の心境や発言と
受け止めると出発点は見えたようです。

本来、理知的な受け止めが
できる私たちならば、
その原因に向き合い、
自分勝手な欲望や怒りが
暴走しないようにするには・・・
大切にすると良いと仰って下さっている
ところを掴ませて頂きたいものです。

後項、【愚痴を聴かせてもらう】では、
他者と協力したり人を思いやったり、
未来を想像し、
推測できる能力を備えている私たち・・・
それを発揮すればいいと
お示しくださいました。

では、具体的に発揮するとは?

「愚痴の病には縁起観を教える」
という涅槃経から、
日ごろから教えて頂くように、
『自分があらゆるものに
生かされていることを知り、
そのイメージをふくらませてみる。』

それは『感謝の生活』を送ることが
できれば愚痴はおのずから減ってくるそうです。
愚痴↔感謝 ととらえると感謝
に向っての精進を現在させて頂いているかを
再確認してみると良いと思います。

なんのご縁だったかは失念しましたが、
感謝の捉え方も大きく見て二つに
整理したことがあります。

一つは、卑屈な視点から見た
感謝とでも言いますか、
自身を小さく見限ったうえでの受け方と、
謙虚な視点から見た感謝と言いますか、
自身の身の丈にはもったいないと
あるように思います。

言い足すなら、感謝の大きさは変わらずとも、
自分のありようの見積もり違いを
しているというイメージでしょうか。
皆さんは如何でしょうか。
最後の件には、愚痴を一切言っては
ならないとは仰っておられません。

前向きになるための愚痴もあるでしょう。

しかし、いっても仕方が無いことに
捉われるのはやめたいものです。

更に、愚痴を聴かせていただくこともありますが、
そのお相手と共に人生の突破口となる
「智慧の心」
をいっしょにさぐるという
菩薩行にもつながるものと思います。
今月は開祖さま生誕会のご縁と共に、
奈良教会50歳の誕生日を重ねて、
報恩感謝の誠をかみしめ親孝行、
先祖供養、菩薩行実践の決定を期して
新たな一歩を踏み出して参りましょう。

合 掌
立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝