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まほろば 奈良教会長コラム

令和三年十二月度 ご法話を学んで

2021.12.1

★佼成12月号「会長法話」をご拝読ください。

【佼成12月号】

(朗読 MP3)

令和三年十二月度 ご法話を学んで



日々ありがとうございます。
おかげさまで、令和3年次においての
精進の一年を皆さまと歩むことが
できましたこと感謝申し上げます。

令和4年次は49年目の
奈良教会発足記念でもあり、
令和5年には、大きな節目である
教会発足50周年を迎える
準備の一年の始まりとなります。

そんな、意義ある一年を迎えるに
あたり心をひとつにして皆さんと
取り組んで参りたいと存じます。

今年最後の佼成ご法話
『心の声に耳を澄まそう』
は実践目標としても
心して参りたいと存じます。

11月ご法話では懴悔(さんげ)の
必要性について学びましたが、
今月は懴悔の捉え方を
深めて参りたいものです。

サンゲ経の一説から、どんなときでも
反省や懴悔を忘れなければ、
さらさらと流れる水のような、
自在にして清々しい生き方ができる。

〈この世のさまざまなできごとに
とらわれず精神が自由自在に
過ごすことができる。〉
と教えて下さっています。

そのために目指すところは、
「諸法の実相を深く思念すること」
妄想や執着を離れて、
ものごとのほんとうの
相(すがた)を観なさい、
と仰って頂きましたことに
視点を合わせてみましょう。

会長先生がつねに傍らに
お持ちになっておられる年表ですが、
宇宙、地球、生命の歴史の
重なりを感じることが
できるものなのでしょうか。

ものごとに考えあぐねられたときに
視野を一気に広げ気持ちを
楽にしてくれるのはきっと、
自分の置かれたところや
意味を感じることで気持ちを
楽にしてくださっているのではと
拝察します。

私たちも、どうにもならない状況下
であっても自分の置かれたところの
意味や必要性を感じることが
できればその状況を越えて
いけるのではないでしょうか。

そのことを、仏さまの教えでは、
実相をかみしめる(自己を省みる)
と教えて下さっているのだと
受け止めました。

 

後半の
「法華経、そして佼成会の真精神」
では、宗教的な反省や懴悔と
一般的な反省はそれと違いは
あれども、本質的には同じ
ということは、自身のより良く
なろうという心持ちは
どちらも尊いことである。

しかし、宗教的な反省や懴悔は、
克己心(自身の欲望や邪念を制し
目標に向かって邁進する強い心持ち)
や忍耐の強さによって、
心に呼びかける内なる仏の声を
受け止めることができるのでしょう。

その声はおのずと本来持っている、
明るく、優しく、温かい行動や言動と
なって出会う人や物事に安らぎを
与えることになるのだと思います。

それを、会長先生は一言
「あとは、実践あるのみです。」
と喝破されました。

また、そのお手本として、
常不軽菩薩の姿であり、
開祖さまが率先しておられた
合掌礼拝は、
「懴悔という悟りを身で示す、
最も身近な実践」から、
【まず人さま】
の大切さを深めると共に、
そのような心や気持ちが
自身に具わっている実感を
持たせて頂けることが
如何に幸せな事であるかを
如実にお示しくださっているものと
受けとめさせて頂きました。

最後に、コロナ禍での精進を
余儀なくされている中でも、
皆さんが会長先生のご指導を
しっかりと受け止められて、
即是道場の修行を一心に
取り組まれているおかげさまで、
教えの尊さや教えによって
救われることが脈々と
広がっていると言えます。

コロナは多くの制約を
私たちに課しましたが、
そのことを受け止めることが
できた時には、無常、無我の
真理に触れ、大いなるいのちの
あらわれを感じ、おかげさまと
感謝の念を深められたことでしょう。

未だ終息には到りませんが
一年の精進誠に
ありがとうございました。

また、善い年をお迎え頂けるよう
祈念しております。

大安心の心で皆さんと共に
あらためて寂光土建設に
向って歩んで参りたいと存じます。合掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士