いつもAさんのお宅に伺うと、
何年ぶりに会ったかのように
喜んで迎えてくださいます。
また、いつ行かせていただいても、
ご自宅もご自身もキチンと整え、
丁寧に生活をされています。
誰からも信頼され
慕われているAさん宅には、
たくさんの信者さんや
ご近所さんが訪ねて来られます。
人生においても信仰においても
大先輩のAさんですが、
私を支部長として拝んで下さり、
法を求めて下さる事に、
有り難く身が引き締まる思いで
出会わせていただいています。
先日Aさんの導きの子のひとりの
Bさん宅へ一緒にお手どりに
行かせていただきました。
その帰り、結果をいただけない事に
対するご自身への反省や懴悔の心を
聞かせていただいていると、
Bさんの幸せを真剣に願うAさんの
心が突き刺さるように
感じられました。
Bさんの痛みを何十年も感じながら
生きて来られたAさんに比べ、
主人が心身症で仕事に
行けなくなった時、
子どもが学校に行けなくなった時、
ただ現象を受け入れられた事で
満足し、その痛みを共感し
悩む事から逃げていた
私だったと気づかせて
いただきました。
その少し前に教会長さんから、
「菩薩というのは常にモヤモヤと
スッキリしていないものだ」
と教えていただいたのですが、
スッキリして重荷なく
生きたい私には
その功徳がわかりませんでした。
でも、Aさんの姿が
菩薩の姿として理解できた時、
教会長さんのお言葉がストンと
心に収まったのです。
Aさんの生き方に倣い、
真剣に人さまの
悩み苦しみに飛び込んで、
向き合い痛みながら
精進させていただきます。合掌
桜井支部長 松浦由季
万陽だより
ホームページ支部長コラム
2021.12.3