「相手の過失を語るのではなく、善いところを発見していく徳を養い、発揮しよう」
今月の会長法話のテーマは、「徳を養い、発揮する」です。
仏さま、開祖さまをたくさんの人がお慕い申し上げますが、どうしたら、仏さま、開祖さまに近づけるのでしょうか? 会長先生は次のように教えてくださいます。
・開祖さまが列車内でトイレ清掃をされたように、人に知れないように行う善行・陰徳(いんとく)を積むことを大切にするよう教えられてきました。
・仏教は智慧と慈悲の教えといわれます。真理を悟ることは、智慧に当たり、それを他人に伝えることが慈悲に当たるでしょう。この智慧と慈悲が一体となるところは仏の世界であります。徳を積み、徳を身につけるとは、仏の世界へ向けての菩薩行にほかなりません。
仏教は自覚の教えともいわれ、真理を明らかにし悟りを開く、すなわち智慧の宗教であることが仏教の特徴であります。たとえば、縁起の法を学び、あらゆるものに生かされていることに気づいたとき、見るものふれるものに感謝せずにはいられません。 そうしてその喜び、感謝を他人に伝えたいという心がわいてきます。
・徳を積む、という語感から徳を貯(た)めたりふやしたりするもののようにとらえがちですが、善いことを繰り返し繰り返し行なうその一瞬一瞬の実践が心を豊かにし、喜びと楽しみを味わうことができるのです。
・明恵上人(みょうえしょうにん)に、「他人の過失について語る人は、わが身に徳のない者である」という言葉があります。「相手の過失を語るばかりでその徳分が見えないのは、自分に徳がないためである」という指摘です。
相手の善いところを見よう、徳分を発見していこうという見方ができるとき、人は大きく成長しているときです。相手の徳(善いところ)が見えないときは、智慧の眼が曇り、謙虚さを失っている状態といえます。智慧の眼が曇っていると気づいたら、「まず人さま」という利他の心を思い起こし、相手の善いところに目を向けて、智慧と慈悲の心を取り戻したいものです。
・道元禅師が作務(さむ)の心得として示された次の三つの心は、私たちの生活の指
針になることでしょう。人さまの幸せを喜び、何事も感謝で行う「喜心」、思いやりをもってことにあたる「老心」、すべてを大らかに観る「大心」の三つですが、開祖さまのお徳を端的に示しているように感じられます。
今月は、相手の過失(バツ)を語るのではなく、開祖さまのように善いところ(マル)を発見していく徳を養い、発揮する、礼拝行に取り組みましょう。
まほろば 奈良教会長コラム
平成24年次 11月度実践目標
2012.10.31