「あなたはすばらしい、あなたは救われている」と合掌礼拝の心と姿勢でふれあおう
今月の会長法話のテーマは、「みんなすばらしい」です。
思いどおりにならないことが続いたり、人と比べてさびしさを感じ、自分に自信がもてず、どうせ自分なんか、と自己否定に陥り苦しんだことはありませんか?
そんなとき、どのようにして、乗り越えていますか?
会長先生は次のように教えてくださっています。
・『「すばらしい力」が生きてるものぜんぶにあたえられている。きみも、きみも、き みも、…、なにかはわからんが、みんな「すばらしい力」をひとりひとりが持ってる』という椋鳩十(むく はとじゅう)さんのお話は仏さまの教えの本質に通じるものが示されているように思います。
みなすばらしい力をもった存在であるというのがありのままの姿といえましょう。
この世界は三法印(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)という真理のはたらきのただなかにあります。それは、すべてが大いなる一つのいのち・根源のいのちを生きているとも表現できます。つまり、みな等しく仏性そのものといえるのです。
「ひとりひとりが持っている」というその力、輝きに私たちが気づくこと、自覚することが大切です。
・自分の力や輝きに気づけない人が数多くいる。その現実のなかで、だれもが自分を尊ぶことができ、周りの人にも同じまなざしを向けられるようになるポイントの一つが、あらゆるものを賛嘆する法華経の教え、とりわけ常不軽菩薩の教える合掌礼拝に徹する精神と姿勢です。
・常不軽菩薩に倣(なら)い、だれに対しても「あなたはすばらしい」と合掌礼拝の心と姿勢でふれあうことが、現今は本当に大きな意味をもつ時代です。
それはいわば仏さまの本願そのものであり、そのご縁を一つのきっかけとしていのちの尊厳、自他の尊さに気づいた人が自己肯定感を取り戻せるように願わずにはいられません。
それには、私たち一人ひとりも真理を認識し、仏の慈悲と智慧をいただくことが大切です。そして「みんなすばらしい」とは、「みんな救われている」ということにほかならないのです。
今月は、一見不都合な人と思う目の前の人にも、だれに対しても、不平不満をいうのではなく、その人のなかに、すばらしいところ・救われているところを見出しほめる・「合掌礼拝の心と姿勢」でふれあう自分づくりをさせていただきましょう。
まほろば 奈良教会長コラム
10月度実践目標
2012.10.2