皆さま、日々ありがとうございます。
未だ残暑きびしく体調管理も難しい
この頃ですが、時期としては一雨ごとに
秋らしくなり年度の終盤に
差し掛かってまいりました。
しかしながら、コロナ禍の状況は変わらず
行政もさまざまな試みを打ち出して
下さっていますが、現状を大きく
好転させるまでに至っていないことは
皆さんの周知されているところと存じます。
その中でも奈良教会におきまして、
コロナ感染対策の啓発、注意喚起を期待して
オリジナルポスターを作成させて頂きました。
近日中には、皆さまのお手元に
お届けできることと思います。
それでは、今月も9月号佼成から会長先生の
ご法話を学ばせて頂きたいと存じます。
さて、今月は『ともに悲しむ』
と題してご法話を頂戴しました。
前項の、『人の悲しみを悲しむ心情』にて、
「ともに」という和合亮一さんの誌を引用され、
《つらい経験をして悲嘆にくれる人に
出会ったとき、私たちはこの詩のように、
相手を思い、ときにはともに
涙したり、手をとって
「いつでもそばにいますよ」
と励ましたりします。》
これは、人の苦しみに共感して
ともに悲しむことができるという人間に
具わっている心情だと示して下さいました。
更にその共感力といえるようなものは、
人生において代表的な四苦(生老病死)などに
出会ったときに感じるつらく悲しい気持ちを
沢山味わった人ほどより発揮されると
お教えくださいました。
きっとほとんどの方々にあてはまること
でしょうし、私自身に当てはめてみても
どちらかといえばつらく悲しいことの方が
多く感じているように思います。
教えに出会っていなかった時には
気づきもしなかったでしょうが、
このつらく悲しみの体験がそのまま
傷となって残るというより、
人の苦しみや悲しみがよくわかり、
身につまされるものになること
なのだとお示し下さいました。
この心もちは、人の力になることができる
自身の存在を意味あるものとして捉え、
つらく悲しい渦中にあっても希望の灯に
なるものと受け止めました。
数学者 岡潔さん
(奈良女子大の教授もされていたようです。)
の言葉にある「宗教の本質」とおっしゃた、
人の悲しみ、自分の悲しみをわかり感じる
ことを、法華経の如来寿量品の掉尾の一節、
「何を以てか衆生をして 無上道に入り
速かに仏身を成就することを得せしめんと」
(どうしたら人びとが迷うことなく、
仏になってもらうことができるかと、
それを常に念じている
/菩提の芽を発さしむP26より抜粋)
という仏さまの心もちを、私たちも教えに
よって持たせて頂けることを示して
いただけたのではないでしょうか。
後項では『自他の仏性が輝くように』において、
暦のうえでの「白露」の露にはかない
印象ありますが、同じくはかなく
思える無常の世といえども
、
「悲しみにくれる人がいないように」
「だれもが仏性に目ざめて救われるように」
という仏さまの切なる願いを
お伝えくださっており、
私たちが目指す菩薩という人に寄り添う
生き方の示唆を頂戴しているのでしょう。
自分の愚かさを嘆き、泣き沈むチューラパンタカ
というお弟子とお釈迦さまの寄り添い方を
手本としてみたいものです。
ここで私の勝手な推察ですが、
「塵を払わん、垢を払わん」
と唱えながら掃除をすることを
お勧め下さったわけですが、
言葉を発することによる心の整えと
善行という行動の一致によって定まって
きたのではないかと感じております。
とはいえ、仏さまがチューラパンタカに対して、
心を救い、悲しみや絶望感を喜びに転じさせた
要因は、ひたすらに仏性を信じて寄り添う、
釈尊の大慈大悲から生まれる
やさしさにほかならないでしょう。
とありますが、このことについて、
善も悪も持ちあわせる私たちの、
だれにも共通するのは、
仏性という揺るぎない本質、仏と同じ
「永遠のいのち」
を生きている私たち、善も悪も体験した私たち
だからこそ、自他の仏性が輝くようなふれあい、
とりわけ悲しむ人に喜びを与える縁となる
実践ができると、信じてくださいってるのでは
ないかと思うと先のご法話によって
灯った希望の灯が勢いよく明るさをもつものと
なるように受けとめさせて頂きました。
振り返れば、私たちそれぞれに、
チューラパンタカに寄り添って下さった
ようにして下さった方がいたおかげさまで、
日々感謝のこころをもって過ごすことが
できていることを改めて感じるのですから、
今度は私たちが、つらく悲しんでいる方へ
寄り添い、やさしさの発揮をすることができれば、
きっとコロナ禍にあろうとも
希望の灯になれるのではないでしょうか。
折角ですから、皆さんが
チューラパンタカと仮定して、
お釈迦さまに当たる方は、どなたですか?
その方はどのような方ですか?
どののような寄り添い方を
してくださいましたか?
最後に、今月は脇祖さま報恩会、秋季彼岸会、
敬老会などこれまで頂いたご縁、
救いの手を差し伸べてくださった方々や、
日々お支え下さっている周りの方々、
同じ時代を共に生きている世界の方々など、
感謝の誠を捧げる機会が多くある月でもあります。
周りを取り巻くことで言えば、
この状況下にも感謝させていただくことも
多く有ることと拝察します。
唯々、不安や恐れに慄くのではなく
創造や工夫を繰り返し、更なる成長の
糧とでもなるよう皆さんと共に
修行精進させて頂きたいものです。
重ねになりますが、お互いの距離に注意して、
マスク使用や消毒と手洗いの徹底、
定期的な換気など対策をしっかり行うことで
リスクは減るのですから、私たちから
徹底して周りの方々にも注意喚起して安心した
精進につながるようにしてまいりましょう。
また、今月も元気に皆さまと共に
努力精進させて頂きたいと存じます。
皆さまどうぞよろしくお願い申し上げます。
合 掌
立正佼成会
奈良教会長 中村 浩士
★佼成9月号「会長法話」をご拝読ください。
【佼成9月号】
(朗読 MP3)
まほろば 奈良教会長コラム
令和二年九月度 ご法話を学んで
2020.9.1