皆さま、日々ありがとうございます。
新型コロナウイルスの対応にそれぞれの
置かれた場所でご努力、ご精進
いただいていること感謝申し上げます。
4月16日に全都道府県に対し緊急事態宣言、
更に緊急事態措置の要請を受けて、
ご本部から【第5報】の通知があり、
全教会を完全閉鎖体制に
移行することとなりました。
ゴールデンウイークを目前に見据えつつ、
3密(「密閉」「密集」「密接」)状態を作らず、
不要不急の移動を避けることが、
感染による拡大防止と命を守る行動指針として、
我々一人ひとりに投げ掛けられています。
しかし、外出をしないことで
自身の動きが小さくなると、
相まって思考や視野が段々と
狭まってしまうように感じられます。
そんな時だからこそ、
今月の会長先生のお心を
しっかり受け止めさせて
いただくことが肝要だと存じます。
さて、今月は
『悠々として、心安らかに』
と題してご法話を頂戴しました。
前項は、「妙好人・石見の善太郎」
のお話をもとに、
私たち自身にどのように対処するかを
問うてくださいました。
妙好人
(白蓮華にたとえられるほど
清らな人柄の、信心深い念仏者のこと)
と称えられたこの方は、
若いころは素行が悪く
周りの人々からも疎まれていたようですが、
信仰に目覚め石見の善太郎さんと
敬愛されるようになったのでした。
このお話は、ご法話をご拝読ください。
【佼成5月号】 『朗読版』
ある日、訪ねてきた信仰仲間に
着物どろぼうと激しく罵られる
事態になっても、
お詫びし更に代金と共に
仏壇に供えられていた草餅を
土産として持たせた。
家に帰った信仰仲間がみんなで
草餅を食べようとしたとき、
その家で働く娘が
着物は自分が盗んだと
罪を打ち明けた、というお話でした。
私たちに対して、
同じ立場におかれたら、
この事態をどのように受けとめ、
対処するでしょうか?
と投げ掛けていただきました。
私は、先ずは身に覚えが
ないわけですから否定をし、
十中八九弁明をすることや
他に該当する人がいるはずだと、
身より遠ざける行動をとると思います。
さて、皆さんはいかがでしょうか?
後項は「楽しく仏道を歩む」
として、先のお話しから、
【やみくもに人を非難したり、
人の話も聞かずに自己主張したりする人には、
できれば会いたくありません。
まして、どろぼう扱いされたりすれば、
冷静に受けとめられないのがふつうです。】
とふつうの自分に安堵するところですが、
我々信仰者としては如何なものでしょうか。
善太郎さんの対応には感心もしますが、
私たちはどちらの自分でありたいと
願っているのかが、
キーポイントのように感じます。
それを、会長先生は、
【「阿弥陀さまにすべてをおまかせしている」
という善太郎さんの絶対的な「信」
によるものではないかと思います。】
とお示し下さいました。
やましいことは何もない。
仏さまはすべてご照覧なのだ。
という【悠々として安らかな気持ち】
だから 先のように受けとめることが
できたのではないでしょうか。
私たちは、いつもこの心もちを目指して
日々精進させて頂いているのでしょう。
ふつうの心もちで安堵してしまうことに
危機感をもちました。
この世は持ちつ持たれつの
関係性を理解していれば、
相手をやり込めて満足することは
一時の充足感を享受している
だけかもしれません。
今月は法華経の「勧持品」の一節
「我身命を愛せず、但無上道を惜む
(われしんみょうをあいせず、
ただむじょうどうをおしむ)」
この一節は信仰者の強い意志を
示すというだけではなく、
【いま、この地球に生まれて
生きている奇跡に気がつけば、
「自分さえよければいい」と
自己に執着している場合ではない、
生かし生かされあう縁(えにし)に
感謝することが大事なのだ、
という意味にも受けとれます。】
どこまでいっても感謝を忘れない
日々が大切だということです。
そのような、
【感謝に目覚めたら
一人でも多くの人と
感謝の気持ちを共有しようと、
法華経の教えによって感謝に目覚めた
私たちであれば、教えを伝え、
生きる喜びと感謝をともどもに味わおうと、
一歩を踏みだすことです。】
ここは法華経の教えを基として
生きる者としての意味をお示し下さいました。
ふつうではいられない私たちの生き方は
どうかと内省と懺悔の気持ちです。
最後に、この一歩を踏みだすことは、
【相手を変えようとか、
説き伏せようとするものではなく、
喜びをもって仏の教えを実践し、
人びとと心楽しくふれあうなかで、
いま命あることの有り難さに
目覚めてくれる人がいればそれでいい】
と悠々として、心安らかに生きる
信仰者の神髄を妙好人に見たと
締めくくりいただきました。
現在も、コロナウイルス終息を願いながら、
自分のなすべきことを
先ず私から実践していこうと、
皆さんと心合わせているところです。
とにかく、3密を作らない、
手洗い、うがい、マスク着用などの
自身ができること、するべきことを
しっかりすることが、
やましいことはないという
妙好人の心のもち方ではないでしょうか。
直接会えないからこそ、
会えていたことに感謝できます。
それでも、私たちには、
電話やメール、SNSなど工夫すれば、
直接会っていたこと以上に
感謝の出会いができるのだと思います。
私も、教会役員さんや
青年各部長さん方と遅まきながら
SNSを介してつながりを持たせていただく
お手配をいただきました。
これを機縁にいろいろな情報が
共有されていくことを期待しております。
皆さまも、未だ終息の先は見えませんが、
心ひとつに合わせて【即是道場の精神】で
この状況を乗り越えて参りたいと存じます。
合 掌
立正佼成会
奈良教会長 中村 浩士
まほろば 奈良教会長コラム
令和二年五月度 ご法話を学んで
2020.5.1