皆さま、日々ありがとうございます。
未だ収束が見えない状況下にあって、
アジアのみならず
世界規模の感染拡大している
新型コロナウィルスですが、
自粛や、中止、延期などの
対応だけではなく、その内容が
大切になってきているように感じます。
何度も伝えられる推奨の対応は
マスク使用、手洗い、うがい、
咳エチケットなどの徹底ですが、
まだまだなされていないところは
反省をしつつ 改めて実行の徹底を
しているところです。
四月は仏教三大行事の一つである
降誕会(ごうたんえ)の月でもあります。
お釈迦さまの生誕をお祝いしつつ
自身のいのちの尊さを省みる
意義ある月でもあると存じます。
会長先生のおこころでもある、
「感染拡大を避けることを
最優先とさせていただきます。
『法華経によって人を救い、世を立て直す』
という創立の精神をかみしめ、
教会長を中心に、一人ひとりが工夫して
布教してまいりたいと存じます。」
という方向性に沿って、
引き続き進めたいものと
考えております。
さて、今月は
『偏った見方を越える』と題して、
学ばせて頂きたいと存じます。
前項の『「自分は正しい」という偏り』では、
【自分の感情や都合を大事にする
そういう見方や受けとり方を、
私たちは多かれ少なかれ
していると思います。
これは、いうまでもなく
自己中心の狭い見方です。】
更に、この見方が高ずると
、
【とらわれや偏見が強くなって、
ものごとを正しく見る目が
さらに曇ります。】
と教えて頂きました。
そこで、法華経の提婆達多品の一節である
『等正覚を成じて広く衆生を度すること、
皆提婆達多が善知識によるが故なり』
をお示しいただき、これは私たちが、
偏った見方から大きな見方へと
心を切り替える、スイッチのような
役割をもつ一節ということを、
私自身が受け止めさせて頂くに、
どんな事象が目の前に顕われたとしても、
先ずは私にとって必要な出来事である
という価値観で捉えてみることが
先決なのではないかと
受け止めさせて頂きました。
後項にある『仏性をひたすらに信じる』では、
【深い闇の底にあった地平線が
白みはじめるころ、
明けの明星(あけのみょうじょう)の
輝きを受けて、
釈尊は悟りを得られたといわれます。】
には、宇宙的視座で見た、
または明星の輝きが仏性の輝きと重なった、
という可能性を感じながらも、
ともかく見えている世界の有り様が
全く違う見え方となること
を示していただけているものと存じます。
そのくだりを、
【「みんな仏性」という見方に立てば、
偏った見方で人を傷つけたり
争ったりすることはありません。】
というお言葉が、
偏りのない私づくりへの道筋として、
明らかになった思いです。
更に、大切な確認をいただきました。
先生も誤解されやすいと仰ったところですが、
【仏性を信じるというのは、
相手のいいところを
見ることではありません。
相手を、まるごと仏性として
拝むことです。】
と言及なされたことは、
私自身の内省を促してくださいました。
良いところ探しだけで、
あたかも仏性礼拝を解ったかのように
思い違いをしていたのではと
今一度振り返る機会でもあるように感じま
自身の価値観を一度降ろしてみるということを
【すべての仏性をひたすらに信じるなかで、
私たちは矛盾と葛藤とも向きあい、
人として成長していくのだと思います。】
として、中々見ることが
難しい見方ではありますが、
しかし、見てみたいという希望を
持ち続けることができているとすれば、
とりわけ有り難いことではないかと存じます。
その事に4月の降誕会(ごうたんえ)
の機会には、
お釈迦さまがお生まれになった姿である、
誕生仏に接して
【純真無垢な心を取り戻し、
自他の仏性を深くかみしめる】
自身の中の希望、可能性を
信じてみたいと決意しているところです。
最後に、東京オリンピック2020の
延期がなされるようですが、
この一連のコロナ対策のことからも、
私たちの本質は世界規模で繋がっており、
自分のことだけに終始するのではなく、
生きとし生けるものすべて、
周りのひとの幸せを願い、
こういう時だからこそ
心を一つにして丁寧に
取り組んで参りたいものです。
その心もちが、年頭のご指導でもある
「即是道場の精神」の発揮であると存じます。
今月も、皆さんと共に修行精進の道を
歩ませて頂きたいと存じます。
合掌
立正佼成会 奈良教会長 中村 浩士
『佼成』四月号
まほろば 奈良教会長コラム
令和二年四月度 ご法話を学んで
2020.4.1