「弁を尽くす」
日々ありがとうございます。
先ずは、奈良教会発足四十六周年記念式典をお迎えし、奈良教会にお役をいただいて無事一年を終えることが出来ました。会員のみなさまをはじめ多くの方々に、ご支援ならびにご教導いただきましたことあらためまして感謝申し上げます。
今月は、『弁を尽くす』とご法話を頂戴しました。
聖書の有名な言葉から、前段の「言葉の力」では、言葉を使うことによって、私たち人間は心の成長・進化してきたとありそれは、『人間が生まれもって授かった心、すなわち「人」としての素朴な感情や意思を、言葉を使ってまわりの人に伝え、コミュニケーションを繰り返すなかで「人間らしい心」が育ってきたということです。』と言葉の発達に心の成長が追いつかないのか、心が退化しているのか、『言葉が人を傷つける道具として使われることも多いのです。』と、言葉の力はとても大きいという理解が深まれば、『いまは、沈黙のうちに自らを省みることの方が重要なのかもしれません。』と受け止めさせて頂きました。コミュニケーションの大きな手段である言葉の使い方を考えることが、人とよりよい関係を築くために大切な要素であることを教えていただいたものと思います。
後段の「富楼那(ふるな)に学ぶ」で「五百弟子受記品」に説かれている説法第一といわれた(富楼那ほど言葉の力を最大限に駆使し、発揮できるものはいない)と称える一節で、「この人に幸せになってもらいたい」という一心で教えを伝えた言葉は強く心に響いたとあり、立て板に水のように話すことではなく、『大事なのは、相手の顔が自然とほころぶような柔和な態度で、思いやりをもって言葉を交わすことです』とお示しいただきました。ここを学んで浮かんだ言葉は《相手の立場にたって和顔愛語(わげんあいご)》ということが大切なのではないかと思いました。
さらに、『作文の書き方に関する作家の井上ひさし氏の言葉ですが、「単純に、わかりやすく」「自分にしか書けないことを、自分の文章で」という二つが参考になります。』といただき、『自身の体験であれば自分の言葉で語ることができます。』と体験の大切さを示してくださいました。『味わった感動や気づきならば、素直に話せます。完璧な人はいませんから、教えのなんたるかがよくわからなくても、わからないまま、「ありがたい」「うれしい」という気持ちとともに、自分の理解に応じて話すことが、「大切なことをだれにもわかるように」伝えることなのです。』と教えて頂きました。私は、このことを伺って、過去先輩に言っていただいた言葉も合わせて思い出しました。それは、現在もそうですが教えの理解についてまだまだ自信がなく、不安でいっぱいだったころ、自分の中に湧き上がった感動や気持ちは、誰のものでもなく私の中にある事実なのだから、自信をもって話すことができるのだと、言っていただいた言葉が、その後のターニングポイントとなり、せめて理解できたことだけでも精一杯感動をもってお伝えしよう、という決意ができて日々精進の心構えの軸が少しずつ強くなることができました。
最後に『今年、あなたはどのような感動を味わったでしょうか。そして、どんな「大切なこと」を人にお伝えしますか。』と投げ掛けを頂戴しました。ここでは、私の中にある感動を見つけ、伝えたいと思える方に伝えたくなる気持ちにもならせていただきました。私は身近な家族と日々お出会いする皆さんに伝えたいと思います。改めて、会長先生の大いなるお慈悲の中に、入れて頂いている安心感と、全ての人の幸せを願って下さっているお心に報恩感謝で修行精進を決定して参りたいと存じます。令和二年次も今月も皆さんと共に元気に修行精進して参りたいと存じます。
合 掌
奈良教会長 中村 浩士
まほろば 奈良教会長コラム
令和元年十二月度 ご法話を学んで
2019.12.1