「乾いた心に潤いを。~いつでも心安らぐ仲間づくり~」
奈良教会の皆さま、初めまして十二月一日付けで、奈良教会長の大役を拝命しました。
中村 浩士(なかむら ひろし)と申します。出身教会は富山県の高岡教会で育てていただき、父母方とも信仰三代目の修行を、現在もさせて頂いています。木材関係の企業に勤めておりましたが、平成十九年に奉職のお手配の後、青年本部に五年、西日本教区に六年、籍を置かせていただき今日に至っております。いつも私が大事にしたいと思うところは、すべての皆さまに学びつつ、感謝で出会い、一人でも多くの方々に教えにふれていただきお幸せになっていただきたい、と願っております。そのためにも精一杯、皆さまのお役にたてるよう努力精進して参りますので、何卒ご支援を切に賜りたいと存じます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
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さて、佼成一月号にて会長先生より『みんな善の根っこをもっている』と題してご指導を頂戴しました。平成最後の歳が改まり、更なる精進を誓い清々しく新たなスタートをと考えている中ではありますが、何かしらの事情で「前向きな気持ちになれない」との出会いの時、自身の中に具わっているものの、価値を顕かにしていくことで人生に対する悲観的な見方が消え、人の役に立つ生き方を歩むことができるのだ、と示して頂きました。その中で、根っこが育ち、伸びるには「活力を与える潤い」が欠かせないことをポイントとして教えていただきました。
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私は、この潤いとは真っ暗闇に一筋の光が差し込むように自身の中にあった優しい心を見つけた。または見つけることが出来た。という実感を言うのではないかと受け止めさせていただきました。更に、そのやさしい心は自身の心に潤いをもたらし、活力を得た心は、他の乾いた心に潤いを分け与えていくことが、出来る生き方の表明として「身近な人の善き縁になろう」と願って生きることにつながることとなり、やさしい言葉がけや日々の態度によって潤いを分け与えていくことが、ほんとうの意味の仲間(正定聚・ショウジョウジュ)となるのではないかと受け止めさせていただきました。
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先日、横断歩道の真ん中でジッと留まっておられる高齢のご婦人とすれ違いました。何やら動けずにいた所でしたが、奈良教会の壮年部の方々と一緒に残りの横断歩道を渡らせて頂きました、その際に、信号が変わるところにもかかわらず車両の先頭に停車していた若いカップルが車を止めたまま窓から手を出し、こちらが渡り切るまで促して下さいました。この瞬間に立ち会った私は善の根っこに潤いを得たことは言うまでもありません。
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皆さまにお伺いします。先ずは、私(ご自身)の心は潤っていますでしょうか?
潤いを感じないようでしたら、潤いを分けていただきに出かけませんか? 次に、
私(ご自身)の心に潤いを感じたら、乾いている心の方へ潤いを分けに出かけませんか?
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特に、年末年始は、日ごろお会いできない方々とお会いする機会が多くあるのではないかと拝察します。日ごろの感謝とともに、潤いを分けることができるチャンスを、共々活かして参りたいものと存じます。
最後に、皆さまにおかれましては、より善い歳をお迎えされますよう祈念申し上げます。
まほろば 奈良教会長コラム
平成三十一年一月度実践目標
2019.1.1