ふれあう一人ひとりの 仏性開顕に 願いをもって!
釈尊成道の月を迎えました。お釈迦さまが悟りを開かれた成道会を機に、仏教徒としての心を大事に、人さまに尽くす精進をお誓いしたいと思います。
今月の会長先生のテーマは、「使命にめざめる」です。次のようにご指導下さってます。
幕末のころ、福井に生まれた歌人の橘曙覧は、日常のささやかなできごとを、感謝と喜びに満ちた、幸せあふれる歌に残した人です。
「たのしみは紙をひろげてとる筆の思ひの外に能くかけし時」
「たのしみは妻子むつまじくうちつどひ頭ならべて物をくふ時」
「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」・・・・・。
「たのしみは」で始まるこうした歌からは、いつ、どのようなときも、ものごとを感謝で受けとめる穏やかな心の内を感じとることができます。
この八か月間、「八正道」の徳目を一つずつとりあげて、私なりにその意味あいをお話ししてきました。そして今月は、「八正道」の最後に示された「正定」です。「正定」とは、心が常に仏の教えに安住していて、周囲の変化によって動揺しないことと受けとめられますが、たとえ貧しくても悲観せず、そこにある幸せを精いっぱい感受する橘曙覧のような心も「正定」の一つでありましょう。「楽しい」とか「楽しむ」という境地はほんとうに大切なもので、「八正道」の最初の「正見」について「気持ちが楽になる見方」(本年五月号)とお話ししたことにも通じます。なにごとも楽しいと受けとめる──そういうものの見方を心がけていると、気持ちが楽になって、目先の苦に迷うことのない、ほんとうに安楽な人生を歩めるのです。
ところで、「八正道」の「正」という字は、「一」と「止」が組み合わさってできています。仏の教えの「一」といえば、もちろん「真理」であり「法」です。いわば「八正道」の各徳目は、いずれも私たちが「真理に止まる」ための実践であり、その基本となるのが初めにおかれた「正見」といえます。その意味でいえば、「八正道」のすべてを修めるのは荷が重いという人も、日々の暮らしのなかで、何かにつけ、ふと省みて「正見」に立ち返る習慣をつけることが大事なのだと思います。とくに、ものごとに行き詰まったときとか、心苦しいときには、「一」つまり「真理」に帰る意味で目の前の現象を正しく見ていくと、何が心を悩ませ、どうすれば気持ちが楽になるのかがわかるのではないでしょうか。
こうして真理にそった生き方を求める仲間を、仏教では「正定聚」といいます。平たくいうと「仏さまのようになりたいと決意した仲間」のことですが、この言葉からは「正定」のとらえ方をさらに深めることができそうです。私たちはみな、お互いに生かし生かされています。そのなかで、仏の教えをとおして人間らしい生き方を学んだ私たちは、仏への道を歩みつつ、一人でも多くの人の仏性開顕という使命を果たしていきたいと思います。
まほろば 奈良教会長コラム
平成三十年十二月度実践目標
2018.12.1