まほろば 奈良教会長コラム

平成三十年八月度実践目標

2018.8.1

 

 二つの心(仏性)が、いつも向かいあって

         「坐っている」ことを 忘れない!

 

夏本番、青少年育成月間の月に斉家を基本にして、家庭・社会・国家・世界の平和境目指して平和祈願の月の実践してまいりたいと思います。

会長先生のテーマは「敬う心 と 恥じる心」です。次のようにご指導下さってます。

 

今月は「八正道」の「正行」について考えてみましょう。

「正行」は、仏教の辞典で「正業(正しい行ない)」とも示され、「身・口・意の三業」といわれるうちの、「身の行ない」(身業)における正しいあり方のことです。ちなみに本誌

の六、七月号でお伝えした「正思」と「正語」も、それぞれ三業の一つである、心による行為(意業)と、言葉による行為(口業)の正しいあり方ということになります。

それでは、正しい身の行ないとはどういうことでしょうか。解説書には、不殺生、不偸盗、不邪淫の三つ、すなわち「生き物を殺さない」「盗みをはたらかない」「邪な男女関係を結ばない」ことが、正しい身の行ないとあります。

釈尊は、私たちがこの世で味わう苦から解放される道を悟られた方ですが、何が苦悩の原因となるのかを見極められたうえで、これらを示されたのでしょう。その意味では、戒めというよりも、私たちが日々を明るく、楽しく生きるための助言と受けとめるほうが自然に思えます。「このことを忘れなければ家庭も社会も平和で、楽に生きられますよ」という、釈尊からの温かなアドバイスということです。

 

「生き物を殺さない」「盗みをはたらかない」「邪な男女関係を結ばない」ことが正しい身の行ない~~確かに、それは正しいに違いなく、殺生や盗みは法律にふれる対象でもあります。それでも、「してはならない」という禁止事項が「正しい行ない」といわれると、心理的に「正行」のハードルが高く感じられます。そうであれば、「戒律を守らなければならない」と意識する以前に、いつでも自然に、「苦悩しないですむような行ない(正行)をせずにはいられない」ようになればいいのです。

そこでキーワードになるのは、敬う心と恥じる心です。

敬う心と恥じる心は、進歩・向上を求める人間の本能に通じるともいわれます。すると、つい我を忘れて道を踏みはずしそうになる私たちを、本来の人間らしい生き方に立ち戻らせるのも、この二つの心といえましょう。「正しい行ない」とは、「敬と恥」の二つに支えられたふるまいということができそうですが、その心と行ないは、日ごろの人間関係から国家の関係に至るまで、そこに和を築く大切なものです。それは、道を見失いがちなあらゆる場面でいま、大きな力を発揮するものだとも思うのです。