平成二十四年次 四月度実践目標
「釈尊のように、真理をお伝えし、安らぎを与えさせていただこう」
今月の「会長法話」のテーマは「生きている意味」です。
死、病気、老い、悲しいこと、つらいことに出遭わない人はいないのではないでしょうか。それでも人生を生きている意味って、どこにあるのでしょうか?
会長先生は次のようにご指導くださっています。
『釈尊の説かれた法を学ぶと永遠のいのちを生きることができます。真理と一体の身になってしまえば死は問題でなくなるのです。永遠のいのちとは何か、真理の世界と一体となるとはどういうはたらきをいうのかを、生身の体をとおして、一生学びつづけるところに、私たちが生きている意味があるといえます。人間の世界に宗教が存在する意味は、まさにそこにあるのではないでしょうか。
釈尊はこのように説かれ、それを伝え続けられました。
「人生は思いどおりにならないものなのです。
思いどおりにしたいと思うその心が、苦しみや悩みのおおもとなのです。
真理を悟れば、苦を離れて自由に生きられますよ。」
そのお言葉が本質的な救いとなり、多くの人が真の安心(あんじん)を得てきました。つまり、すべての人に安らぎを与えることが、釈尊にとっての「生きている意味」であったといえます。
釈尊がそうであったように、私たちがご法の習学をとおしてなすべきことはただ一つ、多くの人に真理をお伝えし、安らぎを得ていただくことに尽きます。
どれほど大きな苦難を前にしても、真理をしっかりと自覚するならば、人は必ず前に進むことができます。
苦を見つめ、そこにはたらく真理を悟っていく。それはいつまでも人に頼って生きていくわけにはいきませんから、各自一人ひとりで真理を会得することが大切なのです。
真理を悟るとは真実の道理を明らかに知ることであり、それによって私たちはいのちの不思議に気づかされます。生身の体は有限でありながら、いま、現に、生かされていることの意味が翻然(ほんぜん)と胸に迫ってくるからです。 』
これは、一見不都合に思う目の前の人や出来事に出遭ったとき、それを「×」(バツ)にして不平不満をいって、思いどおりにしようと努力するのではなく、そのなかに、「○」(マル)・有り難いこと・感謝を見出す努力をし、人に安らぎを与える人生を生きていく。仏さまはそんな人間を育てようとしてくださっているのだと教えてくださっているように思うのです。今月は、仏さまに生かされて生きている意味を味わい、目の前の人に安らぎを与える自分にならせて頂きましょう。
まほろば 奈良教会長コラム
4月度 実践目標
2012.4.7