水の流れるが如く、「切実な志」に随い 実践して参りましょう!
新たな年を迎えさせて頂きました。信行方針をしっかりと心に刻み、心新たに布教伝道を通して心田を耕す精進に邁進してまいりたいと思います。
会長先生のテーマは、「地道に、淡々と」です。次のようにご指導下さってます。
「一年の計は元旦にあり」といいます。年の始めに「今年はこのような一年にしよう」と胸に期すれば気持ちが引き締まり、さわやかに一年のスタートをきることができます。
ところが、元日に決めたことですら、三日もたつと忙しさに紛れて忘れてしまうのです。そこには、努力の積み重ねよりも成果に重きを置く心や、新たなことにとりくむ余裕のなさがあるのかもしれません。
「元日の雪といへども卸さねば」(広中白骨)の句が示すように、どのようなときでもなすべきことをていねいに行なう心のゆとりと落ち着きをとり戻すことが、いま私たちには必要なのではないでしょうか。時間に追われ、効率や成果にふり回されることなく、地道に、淡々とやっていく。そこに人間らしい生活やほんとうの幸せがあるように思うのです。
なにごとも急がず息まず、循々と行なっていくなかに、人としての成長があるのだと思います。ほんとうに成熟した人間の味わいは、小さなこともおろそかにしない日々の地道な営みによって育まれるものなのでしょう。
目先の損得に左右されず、落ち着いて淡々と、着実になすべきことをなす。そのように生きることができればいつも心穏やかでいられ、人間としての向上も期待できそうです。しかし、胸に期したことを継続すること一つとっても、それがとても難しいのが私たちの実際かもしれません。
仏道修行で大切なことは何かと聞かれた道元禅師は、「仏道を学ぶのに才能は必要ありません。志を発して自分の分に随って学道に努めれば、必ず仏法を得ることができます」といいきっています。ただし、「欣求の志の切なるベき」、つまり、つねに、そして繰り返し求める気持ちが大切だというのです。あれをしよう、これをしようと一念発起したつもりでも、そのもととなる「切実な志」がなければ長つづきしないということでしょう。
見方を変えれば、志に随っていま目の前にあることの一つ一つにていねいに向きあえば、その歩みはたとえ地道ではあっても、必ず実を結ぶということです。また、志があればものごに一喜一憂しない余裕が生まれるので、落ち着きのある淡々とした生き方にもつながるはずです。
道端のゴミを拾う、「足るを知る」を心がける、三つの実践としていつもお話しする。「朝
のあいさつ、ハイの返事、履物を揃える」というのもいいでしょう。身近でできることを地道にこつこつと、できれば目立たぬように淡々と実践することなのです。お互いさま、一日
一日を大切にし、年の終わりには楽しい嬉しい一年にいたしましょう。
まほろば 奈良教会長コラム
平成29年1月度実践目標
2017.1.1