平成二十八年九月度実践目標
先輩から受け継いだ「形」こそ
“道場観の修行の基本”と心得、実践を!
十日は、脇祖さま報恩会です。脇祖さまの「慈悲の生涯」を通して、身近な先輩の菩薩行
に学び、報恩感謝の心で悦びの布教に邁進したいと思います。
会長先生のテーマは、「老いの輝き」です。次のようにご指導下さってます。
いま日本には、後期高齢者と呼ばれる七十五歳以上の人が千六百四十一万人いるそうです。私もそのうちの一人ですが、この後期高齢者の「後期」という言葉に、「光」と「輝(く)」の二文字をあてて「光輝高齢者」と書いた書面を頂いたことがあります。七十五歳をすぎて、ますます光り輝く ─ 高齢者が元気に活躍するイメージが伝わり、気持ちが明るくなります。しかし、活動的で溌剌とした人だけが光り輝く高齢者なのかというと、必ずしも
そうではないところにデリケートな問題があります。
「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 涼しかりけり」。道元禅師の有名な歌です。この歌は、春夏秋冬のそれぞれが、ありのままに独自の輝きを放っていることを伝えています。すべてが天地自然のはたらきであり、それぞれがすばらしいということでしょう。
この視点に立つと、スポットライトを浴びるような活躍をすることだけが光り輝くことではなく、人生における晩秋といえる高齢期においても、一瞬一瞬をありのまま、素直に受けとめているかどうかが大切であります。
つまり、元気に活躍することもさることながら、自分がいまあることそのものに目を向け、そこに映る輝きや有り難さに気づいている人をこそ、ほんとうの意味で光り輝く高齢者というのではないかと思うのです。
老いには、ほかの世代にはない輝きがある一方で、つらいと思わせられる現実があることも否定できません。当人のみならず、高齢の家族の介護をされている人からすれば、光り輝く高齢者という言葉もきれいごとに聞こえ、むしろ「お金もかかり、面倒なことも」と、やり場のない思いを溜めこんで苦しんでいる方もおられるでしょう。
ただ、人にはいえない苦労や複雑な思いを抱え、愚痴をこぼしながら、それでも「元気になってほしい」と願う。心の奥底で、一所懸命に尽くしたいと思う。そういうあなたの深い思いやりの心を呼び覚ましてくれたのは、間違いなく介護を必要とするその家族です。だとすると、介護をする人の慈悲心に灯をともすきっかけとなった家族の姿こそ、光り輝いているにふさわしいと私は思います。
教会道場で学んだ仏さまの教えを家庭や社会で発揮する。それが一人ひとりの生きがいとなり、周囲からも喜ばれる。お互いに助けあうことも、声をかけあうことも当たり前で、道場には思いやりがあふれている。道場で見られるそのような光り輝く高齢者は、きっと若い世代の方々の目標となり、地域においても大切な役割を果たすのではないでしょうか。