目の前の出来事(そこから・日常)を 全て価値あること、有難いこと と 感謝で受けとめる 温習に! 仏教三大行事である『涅槃会』の月を迎えました。 今月の会長法話のテーマは「私心を去る」です。 会長先生は、次のようにご指導くださっています。 ・私たちの三つの実践の一つとして、 人から呼ばれたらはっきりと 「はい」の返事をするというのがあります。 一見、簡単なことのようですが、 「面倒だな」「あの人は苦手だ」といった私心があると、 素直に返事ができないこともあるのです。 逆に、呼ばれてすぐに「はい」と答えられるのは、 私心がないときといえます。 私心が無理押しを生み、無理押しがとらわれとなり、 とらわれが我を張る原因になって進退きわまる、 とありますから「はい」と素直に返事がげできることは、 日々を愉しく生きる秘訣の一つといえましょう。 ところで、私たちの体は寒ければ熱を逃げるのを防ぎ、 暑ければ汗をかいて体温を調節するなど、 環境や条件におのずと順応します。 心もまた、日々の出会いやできごとを選り好みせず、 素直に受け入れて順応できればいいのですが、 私心が邪魔をするときはそうはいきません。 ・好いことだけでなく、つらく悲しいことでも、 それを神仏の「おはからい」として 感謝で受けとめることを本会では大切にしてきました。 この言葉をとおして、どのようなことも必然であり、 むだなことは一つもないと知るとき、 私たちは善し悪しを離れ、 現実を素直に受け入れられるのです。 「おはからい」と受けとるのは 私心を去るスイッチを入れるようなもので、 それによって法に順う無理のない、 楽な人生が歩めるのです。 ・実業家の稲盛和夫さんは、 大きな事業に挑戦する際、 「動機善なりや、私心なかりしか」 と繰り返し自らに問われたそうです。 その事業はほんとうに世のため人のためになるのか、 自分を大きく見せたいといった私心はないか・・・・。 それらが確認できて初めて実行する意志が固まり、 事業をはじめる勇気がわいてきたと記されています。 この話からすると「私心を去る」とは 法と一体になって生きることであると同時に、 仕事や地域活動など実社会で「公のために働く」という、 菩薩行の精神に通じるものがあることがわかります。 ・まもなく迎える涅槃会の涅槃とは 「煩悩が吹き消された状態」を意味しますが、 それはけっして私たちと かけ離れた世界のことではないと思います。 無私の心で、呼ばれたら「はい」と返事をし、 ものごとを「おはからい」と素直に受けとめ、 人の心に寄り添い、 話をよく聞いて相手を思いやるような、 穏やかで安らぎに満ちた日常にこそあるのです。