仏のはたらき(久遠実成・真理)を信受し
布施・持戒の布教精進で、
“第二の矢を受けない”を確信する。
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今月の会長法話のテーマは
「第二の矢を受けない」です。
さて、早いもので、十二月を迎えました。
今月は、平成二十八年度の心を
つくらせて頂く大切な月と、
受けとめさせて頂きます。
会長先生は、次のようにご指導くださっています。
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・慈悲に裏打ちされた自然な行為も、見方によっては
戒律をないがしろにするものと映るのでしょう。
毎日いろいろなできごとに遇い、
喜怒哀楽さまざまな感情を抱きます。
人間としてそれは当たり前のことで、
そうした感情の一つ一つを釈尊は
「第一の矢」といいます。
ただ、私たちは心に抱いた感情のうち、
自分の好ましいものは「もっと」「ずっと」
と望み、執着します。
逆に、、いやなものはさけて嫌い、
そのときどきに起こる欲や自己中心の見方に
よって自ら苦を生み、悩みを深めます。
では、どうすれば苦楽の海に溺れることが
ないのか~~その答えは、
最初に抱いた感情にとらわれないこと、
つまり「第二の矢」を受けないことだ、
と釈尊はいうのです。
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・個人的な話で恐縮ですが、以前、
私は膀胱炎を患ったことがあります。
その痛みは「もう二度とご免こうむる」
と思わせるもので、少しでも気になると
すぐに水分をとって炎症が起こらないように
気をつけています。
つまり、痛苦に懲りて注意深くなったわけですが、
苦悩にも同じことがいえそうです。
自分の感情にとらわれ、ふりまわされる苦しみを
一度味わうと、そのような「第二の矢」は
受けないようにしようと
決意するのではないでしょうか。
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・毎年の健康診断で、同じ項目を何度
注意されても改善に務めなかった人が、
たいへん痛い思いをして初めて健康の
大切さを思い知るという話もあります。
そうした点から見ても、懲りるというのは
「第二の矢」を受けないための、
いわば仏さまからのお諭しであり、
こころの成長につながるステップと
いえるかもしれません。
しかし、できれば精神的にも肉体的にも
痛い思いはしたくないものです。
だからこそ、欲望や執着にふりまわされる
という第二、第三の矢を受けないことが
肝心なのです。
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・禅の世界に「二念を継がない」
という言葉があります。
煩悩がわいても、それを追いかけて
あれこれ思いをめぐらさない、
心に浮かんだ思いを妄想でふくらませない
ということですが、たとえば、
おいしそうな食べものを見て、
「食べたいな」と思っても、
そこで止まるなら、けっして懐は痛まず、
体に影響しないので苦は生じません。
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・煩悩といい、苦悩といい、
それらは自ら生みだしているものです。
ですから、心をうまくコントロールできれば、
よけいなことで思い煩わなくてすむのです。
まほろば 奈良教会長コラム
平成27年12月度実践目標
2015.12.1