信仰の原点に立ち返り 仏の本願を我が願いとし
後ろ姿で 導き修行に務めましょう!
今月の会長法話のテーマは「信仰の こころ」です。
会長先生は、次のようにご指導くださっています。
:
・悩みや苦しみの多くは、自分の内に原因が
あるのです。ところが、そうした自己を
中心にして人やものごとを思いどおりに
しようとする意識を改めてみると、
環境や条件は変わらないのに、
それまでの悩みが嘘のように消え、
逆に喜びの種になることさえあります。
悩みをもたない動物や植物と同じく
天地自然の一部分である私たちは、
人間特有の我欲や人を恨む心などから
解放されれば、わだかまりがなくなり、
ありのままを受け入れることができ、
苦悩のない人生を歩むことができるのです。
このような意味の心の自由を追求し、
人間としていかに生きるかを教え導くのが宗教で、
それを実践していくのが信仰ではないでしょうか。
:
・先日、ある方から
「宗教や信仰に不信感を持っている方には、
どういう姿勢で仏さまの教えを
お伝えすればいいのでしょうか」
と尋ねられました。私は、
「ふだんどおりに接し、無理にお伝え
しなくてもいいのではないですか」
とお答えしたのですが、それは信仰が、
仏道の実践をとおして
仏心~慈悲の心~をいただき、自分が
「思いやりのある人間として生きる」
ことだからです。
:
ですから、助言を求められたら、
相手の心の安楽になるようなひとことを
伝えられるといいと思います。
苦悩のなかで、救いを求めずには
いられないときが、だれにもあると思います。
そのとき私たちは、心から相手を思い、
寄り添うことができればと思うのです。
:
・開祖さまの著述に、
「ほんとうの説法は自分の『後ろ姿で説く』
ことであるのを忘れないでほしい」
とありますが、確かに私たちは
自らの後ろ姿で法を説いています。
清掃の奉仕などにとりくむとき、それは、
宗教に不信感を抱く人の目にも
好意的な行いとして映るはずです。
なぜなら、それは思いやりの心を
社会に布施する実践といえるからです。
つねに後ろ姿で思いやりや布施の心を
発揮することが大切です。
:
・如来寿量品のつぎの一節は、
私たちをそうした信仰の原点に
立ち返らせてくれるものといえます。
:
「毎に自ら是の念を作す
何を以てか衆生をして 無上道に入り
速やかに仏身を成就することを得せしめんと」
:
~どうしたら多くの人を仏道に導けるだろう。
どうしたらみんなが仏の境地に達し、
幸せになるだろうかと、つねに念じている~
このように、仏の願いを自分の願いとして
歩むことを誓願しているのですから、人を思いやり、
素直で謙虚に日常生活を送ることこそ、
私たちにとって大切なことといえるのです。
そして、その生き方がまわりの人に受け入れられて、
はからずも人を仏道にお導きできたとしたら、
それは信仰の大きな功徳といえましょう。
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