お釈迦さまの布教伝道に学び、
「させていただく」を心に止めて、人さまに喜ばれる私になりましょう。
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今月の会長法話のテーマは、『「生きている!」という実感』です。
涅槃会を機に釈尊のご生涯に学び、いよいよ布教伝道に、まい進してまいりたいと思います。
会長先生は、次のようにご指導くださっています。
・私たちはふだん、朝起きてから夜眠りにつくまで、漫然と時をすごすことがままあります。おそらくほとんどの人が、自らの行動をあまりよく気に留めないまま一日を送り、また当たり前のように翌日を迎えます。そのことで何か大きな不都合があるわけではありませんが、ただ、昨今「生きている実感や喜びがわかない」「生きる意味がわからない」といった言葉を聞くにつけ、漫然とすごしがちな日常のなかで、何が生きている実感や喜びにつながるのかを考えさせられるのも事実です。
・タイのお寺で修行に励む日本人僧、プラユキ・ナラテボー師のご著書のなかに、
「目が覚める。だがすぐには起き上がらない。まず身体の姿勢を確認してみる。起きがけの気分を味わってみる。その動きを観察しながら、今ここの感覚を味わう」
このように行動の一つ一つを見つめていくとき、そこには何かしら気づきがあります。さまざまな気づきをとおして生きていることを実感すると、ふれあうものすべてが感謝と慈しみの対象になっていきます。
仏教では「いま・ここ」を大事にします。いま命あることの有り難さを知り、感謝して生きるところに幸せがあります。自分の「いま・ここ」に心を向けて観察すれば、生きている実感として、喜びと感動を味わえるのです。
・世間には、ほんとうにつらい思いをされて世をはかなみ、生きていることが苦痛にさえ感じるという人もいます。ただ、もし身近にそのような人がいて、元気になってほしいと願うのであれば、その人にとって負担にならない程度の頼みごとをしてみてはどうでしょうか。 私たちは、人に喜ばれることで生きがいを感じたり、生きる力がわいてくるのです。
・本会では、何かを行う際に、「する」ではなく「させていただく」という表現をよく使います。「させていただく」というとき、私たちは謙虚な気持ちになります。そういえるのは、あらゆるご縁のおかげで生かされていることを自覚すればこそではないでしょうか。常に謙虚でいられるという意味で、「させていただく」はとても意味深い表現だと思うのです。
今月は、涅槃会を迎えますが、ご入滅の直前まで布教伝道に歩かれた釈尊のように、私たちも怠ることなくいまを精いっぱい生き、大いに生きる喜びを味わいたいとおもいます。
まほろば 奈良教会長コラム
平成27年2月度実践目標
2015.2.3