お説法より①
十年前、長女が高校卒業を間近に控えた頃のことです。
言動や振舞いが日増しに激しくなり
学校を欠席する事も多くなって来ました。
当初、私は娘の反抗期だと思い
時には厳しく注意して言い聞かせ、
娘が反省しておとなしくなると思っていました。
ところが事態は一向に治まらず、
いよいよ手に負えなくなって来ました。
嫌がる娘を病院へ連れて行くと、統合失調症と診断されました。
私は、ショックで言葉が出ませんでした。
家内は「大事に育てて来たのにどうしてだろう」と落胆し、
私達は目の前の現実を受け止めることができず、
ましてや人前で娘のことを口にする勇気もありませんでした。
二度の入退院を繰り返した後、自宅療養することになりましたが、
気分にむらがある娘の理不尽な言動を
真に受けて対応する、生真面目な家内の思いと
「病気だから」と理不尽さに合わせて対応する私との思いが
噛み合わなくなって来ました
家内と娘が言い争いになった時、
私が「病気なんだから」と娘の肩を持つと
「私の苦労を分かってもらえない」
と家内の不満が募り、夫婦関係が一触即発になる事もしばしばでした。
そんな状況の中、明るい兆しが見え始めたきっかけは
昨年の五月、東教会長さんをお迎えしての地区法座でした。
家内は法座の中で、娘のことを話すことが出来ました。
法座主さんは
「自分の思いを押し通す娘さんを、無条件に抱きかかえ,
一生懸命、愛情を注いで来たんですね」
「苦労して頑張っている人は、努力している人なんですよ」
と心に染みいるお言葉を、かけて下さいました。
今まで話すことが出来なかった自分の胸の内を、法座で聞いて頂き、
その努力を認めて頂いた家内は、その時、苦労が報われ、救われました。
また、私は、家内の娘に対する関わり方を、
「もっと違う見方、受け止め方がどうして出来ないのか?」
と、囚われていた事に気づかせて頂きました。
家で四六時中、娘と関わり、何かと苦労している家内の
頑張っているところに、目を向けられるようになり,
ねぎらいの言葉を掛けるようにしています。
お役を通して、夫婦共々、娘との関わり方を学ばさせて頂きました。
おかげさまで、穏やかな毎日を過ごしております。
教会長さん、支部長さん、主任さん、地区の皆様、有難うございます。
この体験をお手取りに生かし、精進させて頂く事をお誓い致します。(O)
お説法より②
「なんで言ってくれなかったの?」
主人の多額の借金が発覚した時、私はびっくりして
罵声をいっぱい浴びせました。
教会長さんからご指導を頂き、弁護士さんを紹介して頂きました。
「自己破産するしかないですね。」
と言われましたが、二人で頑張って返済していくことにしました。
私も借金返済のために働きに出ました。慣れない仕事に、
「私は今まで楽な生活をさせてもらってきた。
家族を養うために、お金を頂くということはたいへんな事なのだ。
主人が暑いときも、寒い時も、仕事をしてくれたおかげで生活できている。」
ということに気づき、主人に感謝させて頂きました。
平成19年12月8日に、仕事中の事故で主人が亡くなりました。私は
「一生懸命、修行してきたのに、仏さまは主人を助けてくれなかった。
神も仏もない。」
と思いました。
亡くなる3日前に、教会の宿直のお役をしてくれて、
前日には、地域の「山の神」の行事に参加して、
地域の方と楽しそうに、お酒を呑んでいた主人。
本当に信じられませんでした。
「もっとやさしくしておけばよかった。
高いお酒を、飲ませてあげればよかった。」
と、懺悔したり、自分を責めたりしていました。
主任さんと支部長さんに、何度も思いを聞いて頂き、
悲しみを乗り越えることができて、今の自分があります。
ありがとうございました。
平成25年9月29日、ご本尊を勧請させて頂きました。
ご本尊拝受の当日は、主任さんが、
「帰ってすぐ食べられるように。」
と差し入れをくださいました。
そのやさしさが嬉しくて、食べながら涙がボロボロ出ました。
今年の5月1日に、主任のお役を頂きました。
6月15日の、まほろば講演会では、
お手取りを、組長さん方にお願いさせて頂き、
自らも、職場の方に声をかけさせて頂くことができました。
今、私がこうして生活できているのも、
主人が命を落としてまで、私の事を
守ってくれたおかげと、感謝しております。
主人が生きたかった分まで、精一杯生きていきます。
教会長さんが、いつも教えてくださる
「×の中に○を見い出していく”仏さまの見方”」
を少しでも身につけられるよう、精進させて頂きます。
ありがとうございました。 合掌 (T)
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万陽だより
\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
2014.11.22