「地域の人びとに悦びを運ぶ私たちになろう」
私たちは、「この人」にご法の悦びをお伝えしたい、ご法の縁にふれてもらいたい、楽(らく)になってもらいたい、という「意中の人」をつくり、取り組んでいますが、なかなか容易ではありません。ご法の悦び・法悦をお伝えするには、どのようなことを心がければいいのでしょうか?
会長先生は次のようにご指導くださっています。
・自分が味わった悦びや感激を人に伝えるのは、生あるもののなかで唯一、言葉を通して悦びを他と分かちあえ、共感できる人間ですから、それはつまり自他一体観を生きることであるといえるのです。
・信仰で味わう「法悦」というと、多くの人は自分とはかけ離れた崇高(すうこう)なことと思っています。そこで、この「法悦」を「感動」と言い換えてみてはどうでしょう。日常生活のなかで感動を味わう経験なら、だれにもありそうです。しかもけっして大げさなものでなくていいのです。
たとえば、人に親切にされて「ああ、うれしい」と感謝する。あるいは、苦手だと思っていた人と自分に共通点があるとわかり親近感を覚える。これらも一つの感動です。また、本を読んで感銘を受ける、人の体験を聞いて胸を打たれるというのもよくあることでしょう。
こうした感動や悦びを素直に人に伝えることが、じつは法を伝えることに直結していくのです。
・善い行ないをしている人を見て「すばらしいなあ」と感激し、賛嘆する。仏教では、賛嘆することに大きな功徳(くどく)があるといいますが、その感激が人から人へと伝わり、伝え聞いた人がまた悦ぶときの功徳はなおいっそう大きいとされます。
「法は人によって弘(ひろ)まる」といわれるように、私たち一人ひとりの感動や悦びが、何よりも大切です。
・「言辞柔軟(ごんじにゅうなん)にして、衆の心を悦可(えっか)せしむ」…話す人も聞く人も、ともに深い悦びが得られるようなふれあいを心がけ、地域の人びとに悦びを運ぶ者でありたいと思います。
毎日の同じことの繰り返しの中に、小さな感動や悦びを見いだす練習。そしてそれを素直に口に出して伝える練習。これが、私たちがずっと取り組んでいる、一見不都合な目の前の人や目の前の出来事、「×」(バツ)に思うことに不平不満をいうのではなく、その中にこそ、有難いこと、感謝、「○」(マル)を見いだし、口に出していく練習なのです。今月は、その練習を通して、地域の人びとに悦びを運ぶ私たちにならせていただきましょう。
まほろば 奈良教会長コラム
平成26年6月度実践目標
2014.6.1