まほろば 奈良教会長コラム

平成25年8月度 実践目標

2013.7.31

『「水の流るゝ如く」、現象をありのまま見つめ、受け容れる人間になろう』

今月の会長法話のテーマは、「水に学ぶ」です。

人から何かを頼まれたとき、苦手だ、いやだとあれこれ考えて断ったもののスッキリしない、今日はいやな縁にふれたと心が波立ちスッキリしない、というようなことがよくあるものです。 そんなとき、どのようにして心をスッキリさせていますか?

会長先生は次のようにご指導くださっています。

・水は私たちにさまざまなことを教えています。

「法」という字は「水」(さんずい)が「去る」と書きます。これは、水が自然に高いところから低いところへ流れるように、普遍的な法則の意味があります。

それを私たちの日常にあてはめると、素直になるということでしょう。

少し乱暴な言い方かもしれませんが、苦手だ、いやだと、あれこれ考える前に「はい」といって受けていく。それが仏さまの教え、つまり法に随(したが)う生き方であり、このように実践して初めて法が生きるのです。

私は先ごろ、「こころの眼(まなこ)を開く」を上梓(じょうし)しました。その巻頭に「水の流るゝ如く」と書き添えたのは、私自身がそうありたいとの願いからにほかなりません。

・弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)に「水は自性(じしょう)なし 風に遇(お)うて すなわち波たつ」の言葉がありますが、これは、定まった性をもたない水になぞらえ、日々の縁は受けとめ方しだいであるとも、また、ふれる縁によって心を波立たせることの多い私たちですが、そんなときには、慌(あわ)てず騒がず、現象をありのまま見つめ、受け容(い)れることが大切であるというお諭(さと)しとも受けとめることができそうです。

・道元禅師の和歌「峰の色 谷の響きも 皆ながら 吾が釈迦牟尼(しゃかむに)の 声と姿と」は、「いま私たちが目にし、耳にしているものごとは、みな、そのまま、お釈迦さま(久遠仏))(くおんぶつ)の声と姿であり、説法である」ということです。

・生命に欠くことのできない水、私たちはその水に学ぶことが、たくさんあると思います。

今月は、会長先生に倣って、「水の流るゝ如く」、現象を「ゼロ」「真っ白」「ありのまま」見つめ、受け容れ、「プラス」「ありがたいこと」と受けとめていく生き方を身につけられるよう、精進させていただきましょう。