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まほろば 奈良教会長コラム

令和5年3月度 ご法話を学んで

2023.3.1

佼成3月号】

(朗読 MP3)



ウクライナへの侵攻から
一年が経過しましたが
未だ解決への糸口すら
見えない状況であり、
トルコ・シリアの地震では
死者が5万人を超え
行方不明者はわかっておらず
犠牲者はさらに増える恐れがあるなど、
個人の力の無力さを感じる次第ですが、
一食平和基金からの支援やWCRPなど
宗教者はじめ市井の方々が
自分事と受け止め
支援の輪を広げている様子を
見聞きすることで、
人間に具わっている仏の心
とでも言いましょうか、
困っている人を助けたい
という思いを発揮する姿に、
真の菩薩の姿を見る思いです。

そのことを私たち一人ひとりも、
奈良教会発足50周年を
《感謝・出会い・継承》
の精進を皆共に仏道を成ぜん
の心で努めて参りましょう。

今月の3月号佼成
「健康と元気は「心」から」
から学ばせて頂きたいと存じます。

前項の
「体と心は深くつながっている」
では、筋肉の量が多いほど
長生きできるというお話に、
私自身はめっきりと
身体を動かすことから
遠ざかっている状況に
チクリと痛さを感じましたが、
改めて新緑の季節に
暗いトンネルから這い出して
活発に動いていこうと
決意を持ちました。

それだけではなく、
体と心は相即不離の関係だからこそ、
心の筋肉も鍛えていくことの
大切さをお示しくださいました。

筋肉の鍛錬と同じように
感動や感激という刺激を
もって活性化することで、
健康な状況をつくるための
体質改善をすると、
いつも元気でいることができる
という示唆をいただきました。

更には、より元気な日々にとって
精神の重要度が高いそうです。

そのことを、後項の
「健康の三原則」の中で、
「心中常に喜神を含むこと、
心中絶えず感謝の念を含むこと、
常に陰徳を志すこと」
の三つの心がけをもって
この一か月を過ごしてみましょう。

この三つを私なりに
シンプルに受け止めると、
【希望、感謝、まず人さま】
という心がけになるでしょう。

この心がけは冒頭の
奈良教会発足50周年の目標である
《感謝・出会い・継承》
とも相通ずる心がけ
ではないでしょうか。

発足50周年の取り組み全般にも
言えることとなるかもしれませんが、
節目であるこの一年を
目標に向かって精進することも
教会としての、
元気に健康に歩んでいける
心がけなのかもしれません。

先の心がけを修まっている人を
【菩薩】と呼ぶのであれば、
奈良教会の皆さんこそが、
この一年を精一杯精進することで、
私たち一人ひとりの人生が、
菩薩の人生となるとも
いえるのではないでしょうか。

最後に、今月の3月5日は
教団創立85周年の記念日です。

ご縁ある皆さまと共に、
仏さまの願い、
開祖さまの創立の精神
、脇祖さまの慈悲を嚙みしめ、
これまでにお支え下さいました
方々への感謝の誠を
捧げさせて頂きたいと存じます。

また、後半は春のお彼岸でもあります。

先祖をはじめ有縁無縁の諸精霊への
報恩感謝の供養を誠心誠意
勤めさせて頂きましょう。

いわば、今月は感謝の念を
より示すことができる一か月
であると言えるでしょう。

合掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

 

令和5年2月度 ご法話を学んで

2023.2.1

【佼成2月号】

(朗読 MP3)



奈良教会発足50周年を
お迎えして1か月が経過しました
《感謝・出会い・継承》を
精進の軸にして参りましょう。

また、ちょうど寒修行も佳境に入り
満願成就目前の方や、
本部の配信を視聴して追いつこうと
されている方など様々のことでしょう。

叶うのでしたら皆さんと共に満願を
喜びつつ奈良教会に初めて
御来道いただくことになりました
西村近畿支教区長さんと
お出会い頂けましたら幸いです。

また、2月はお釈迦様が
お亡くなりになった涅槃会の月です。

生ずれば必ず滅するという理を深く
刻む月であると思います。
皆さまと共に感謝と報恩の誠を
捧げて参りたいものです。

今月の2月号佼成
「「他人事」を「自分のこと」に」
から学ばせて頂きたいと存じます。

前項の「「慢心」や
「おごり」に気づく」では、
冒頭の「健康で長生きしたい」
という願いについて多くの人に
共通する者だろうとありますが、
私は健康であることで長生きしたいと
いうふうに受け止めました。

ですから年頭ご法話などに
ありましたように
健康=元気であることが
大事であると思いましたが、
皆さまは如何でしょうか?

在原業平(ありわらのなりひら)
の辞世の句にあるように私も
必ず死ぬことを知ってはいたけれども
ここまで真剣に考えることは
無かったというように
日々、明日も今日と同じような
1日が来ることを疑わない自身が
あることは間違いありません。

親類縁者が老いも病も死ぬことも
自分には程遠いものと
していることも否めません。

しかし、そのことを釈尊は「おごり」
であったと反省されたそうです。

〈「若さ」を誇り、「健康」に甘え、
「命あること」を当たり前と
受け止めてその意味を知ろうともせず、
いたずらに老病死を嫌う
―そうした考えの誤りに気づかれ、
ご自身の「おごり、高ぶり」
を省みられた〉このように、
いのちの有様を真剣に
受け止めていく必要性を、
〈神仏、そして大自然か
ら頂戴した限りある命ですから、
その不思議さやり難さに早く気づき、
与えられた生をいつでも
精一杯生きることが大事と
釈尊は教えて下さるのです。〉

とお示しくださいました。

その中で私は、特に【早く】ということが
重要であると思います。

長い人生の中でも1日も早く気づくことで
より多くの幸せに
あることができると考えると、
未だその気づきに出会えていない方には
いち早く気づいてもらいたいと
いう願いに尽きると思います。

後項の「真に健康な人生」では、
会長先生の人生においての「おごり」
にも言及され間近でお見送りされた
開祖さまのお姿をも重ね合わせて、
老病死を切実に自分の問題と
受けとめるようになられたそうです。

少なからず、そのような経験が
私たちも成長を自覚することに
繋がっていると思います。
それを仏に近づいているとも
仰ってくださいました。

私たちは教えやサンガの
おかげさまで多くの老病死に
出会うことがあります。

その出会いを重ねるにあたって
自身の命の有様と重ね合わせ
【自分事】となるように
感謝の精進をお誓いしたいと存じます。

最後に、コロナ状況については
多くの検討が行われているところですが、
今ある健康に留意して多くの方々に
心身ともに健康になっていただけるように
良き縁となってまいりましょう。

そのためにも、菩薩行実践の誓願を立て
会員の皆さまとのお会いできることを
感謝で取り組んで参ります。

合掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

 

令和5年1月度 ご法話を学んで

2023.1.7

【佼成1月号】

(朗読 MP3)



明けましておめでとうございます。
令和5年が新たに幕開けしました。
旧年中は皆さまに多大なご理解とご協力を
いただき近年に無い多難な一年を
乗り越えることができましたこと
感謝申し上げます。
誠にありがとうございました。

今年は教団創立85周年であり、
奈良教会も発足50周年という
大きな節目を先達の心血を注いだ
ご精進のおかげさまでお迎えすることが
できましたこと重ねて
〈感謝〉と共に強い決意をもって
精進して参りたい所存です。

また記念すべき令和5年は
すべての会員の皆さま、はじめご縁ある方
すべての方々に〈出会い〉を
求めていこうと願っております。

更に、〈継承〉としてご縁を
結べていない方々へ教えにふれていただき
幸せの実感をして頂きたいと念願しております。

とりわけ青年を中心とした次世代に
伝えて参りたいと存じます。

《感謝・出会い・継承》
の三つのキーワードを奈良教会50周年の
精進の軸と捉えて参ります。
どうぞよろしくお願いします。

 

今月の新年1月号佼成
「健康は最高の利得」
から年頭に於ける学びを
深めて参りたいと存じます。

前項の「私たちはいつでも「元気」」では
、一年の計を定めることを会長先生自ら、
手本として誓願をして下さったことを通して、
これまでとは違う考え方や受け止め方をすることで、
工夫された毎日になるのではないかと感じました。

私自身目標を立てても中々到達できないと、
心が折れそうになることばかりです。
時には諦めてしまうことも多々あります。
そうなると、自身を否定的に取りがちになり
益々、気持ちが後ろ向きになって
しまうことになるようです。

しかし、ここでの「気とは生のエネルギー、
万物生成の根源をなすもの」から、
本質的に元気な存在である
私たちひとり一人だからこそ、
まずは生のエネルギーを損なう
ようなことをしないと心に定めて、
元気に生きていこうと前を向いて
歩んで参りたいものです。

 

後項の「菩薩行は健康行」では
前項の生のエネルギーを
損なわない生き方について、
健康であることへの捉え方を、
法句経にある健康は最高の利得と
いう釈尊のお言葉から、
満足の大切さをお示しくださいました。

いわば、
「足るを知る・周りの人と仲良く・欲や
怒りや自己中心の心にふりまわされない」
という「貪瞋痴」を滅する生き方
ともいえるでしょうか。

私事ですが年末に体調を崩し
病床に伏すことになりました。
その際に感じたことは、
一年の取り組みの総決算を終えあとは
法座納めをするだけと
なっていましたので言葉通り、
気の緩みとも言えますが当に
先の貪瞋痴の心が強く出ていて、
生のエネルギーを損なっていたのだと
実感しています。

振り返ると損なったまま
新年を迎えることにならずに心の置きどころを
改めることができたことで、
《感謝・出会い・継承》
の心づくりができたことは私に
必要あってのことだったとも感じます。

その際には教会幹部の方々や
会員各位にもご迷惑を
かけることになりましたし、
家族にも心配をかけることになりましたが、
大きな学びをいただいたからこそ
発足50周年を迎えた令和5年の一年は
私の人生のみならず多くの皆さんの人生にとって、
とても価値あるものを掴む一年になるよう
常精進を誓願させて頂きます。
どうぞ皆さまよろしくお願い申し上げます。

合掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

 

令和4年12月度 ご法話を学んで

2022.12.1

【佼成12月号】

(朗読 MP3)



新年次の令和5年度がはじまりました。
「私たち会員の信行方針」とし
会長先生よりお示し頂き
『皆共に、日々感謝で目覚め、
元気で生き生きと精進して参りましょう。』
という一説を私は、特に注目しています。
そのような精進を年度の初めに
決定して参りたいものです。

今月も12月号佼成
「人さまと、ともに幸せに―六波羅蜜」
は5年次の信行方針の軸になるような
ご法話でもあると思いますので、
あわせて学ばせていただきたいと存じます。

前項「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」
の文頭にある、必要以上に欲をつのらせて貪る心
・自分勝手な思いで他を怒ったり憎んだりする心
・道理を忘れて自己中心の欲や怒りに
根ざした考えを正しいと思い込む心などを
貪瞋痴(とんじんち)とも言いますが「煩悩」
これらは自分自身の苦悩の種といえるものです。

しかし、そのような苦悩の種である煩悩が
あるからこそ人格向上を目指すことになり、
生老病死という逃れられない苦悩に迷うことを
切っ掛けに真理を求めようとすることに
つながると受け止めると、
私たちは、煩悩をより良く生かす智慧、
本当の意味でみんなが救われる教えに
出会えたといえるのでしょう。

このことは、煩悩を持っている、であろう
すべての人が幸せになれる教えであることと、
そのことを実感するには仏さまのような
心もちになる行動を目指す生き方が
重要なのだと受け止めています。

その心の置きどころが六波羅蜜という
今年一年のご法話から学ぶことができた
「利他」であり、ある辞書を引くと
“人々に功徳、利益を施して救済すること”
とあります。

今年一年間のご法話にも多くの利他が
散りばめられていますので、
今年を振り返る意味をもって
読み返しては如何でしょうか。

前項の利他を私たちは朝夕にも
口に出して唱えてもいます。

それは、普回向と三帰依に顕されており、
その心は『みんなと一緒に幸せになろう』
という願いを自身の行動規範にして、
より良い人生の誓いを立てているとも言えます。

後半にある一例から、
私は病床にあってもみんなの幸せを
願うことができます。

その願いを叶えようとする心を仏さまは
きっと見届けて下さるのではないでしょうか。

また、その事象に向き合った貴重な体験は
同じように苦しんでいる方々に
希望の光を見出す力にもなるのでしょう。

先日、ある学生部員さんが
教会に参拝されたときに、
食事が食べられない苦しさと食事が
食べられる喜びを体験したことを
分けて下さいました。

私も体験がありましたので、
一瞬ですが気持ちを共有できたように
感じました。

その後も、拝見するに人の
お役に立とうとしてくれているようです。

この体験も学びとするお手配であった
有り難いことと捉えております。

結びに当たり、今
年は多難な年であったといえましょう。

皆さまもその状況を受け入れるに
様々な苦労や負担もあったことと存じます。

しかし、この状況を受け入れたそのおかげさまで
出来るようになったこともあります。

その出来るようになったことを
伸ばしていけばこの多難な一年を
意味のある期間とすることができるということも
教えて頂いているように思います。

更に、日本の文化には
歳をあらためるという心があります。

来年は奈良教会発足50周年を
お迎えすることとなります。

この貴重な一年をこころ新たに、
明るく元気に新年をお迎えさせて頂きましょう。

合 掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

 

令和4年11月度 ご法話を学んで

2022.11.1

【佼成11月号】

(朗読 MP3)



日々ありがとうございます。
令和4年度のまとめの月をお迎えしました。

また、佼成のご法話も一年をかけて
六波羅密の徳目を軸に諄々と
お教えいただくことが出来ましたことは
特に大切にさせていただきたいものです。

今月も11月号佼成
「みんなの幸せを願う心―智慧②」
に学ばせていただきたいと存じます。
特に前月号にありました
「空」についてより深めることと
なる機会でもあります。

「「空」教えを受けとめる」
の冒頭の
「むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに・・・」
は私自身、日々
心掛けているつもりですが、
お伝えしているなかで、
お相手の理解が
進まないように感じるときは、
先の言葉のようにできているだろうかと
省みることと共に自身の理解の浅さに
内省の毎日です。

その一つが「空」ということでしょう。
これまでも開祖さまはじめ先達から
沢山の言葉で
お示し頂いてまいりましたが、
皆さんはどのように
受け止めておられるでしょうか。

ここで、
「「空」とは「無」とは違って、
ないのではなくて、
そこに存在はするが
「性格づけ」されていない」
ことを意味するという引用から、
悩みの種は自分勝手に
「性格づけ」「色づけ」
するからであって、
そうした性格づけせずに
受け入れてしまえば、
その方が楽に生きることが
できますよという言葉は、
前月の奈良教会の実践目標に
掲げさせて頂いた
「事実を素直に受け止めよう」
という言葉と相通ずるように思います。

また、わるものといいものと
無用な差別をしているとのことですが、
逆に私達が必要な区別は出来ずに
過ごしているとするならば
今一度わが身を振り返り、
すべてのものに仏のいのちが
宿っているという心で、
何事も仏のいのちをもったものだと
拝んで参りたいものです。

「六つの慈悲のはたらき」
において先の捉え方を
「空」「寂」の大切さを意味する。

それが「智慧」ですと
お示しくださいました。

それを踏まえ
「自分の幸せを願うなら、
まず自分のまわりの人や
世の中の安穏を祈りなさい」
という日蓮聖人の願いが
我が心に感じるならば、
みんなの幸せになるための
利他の行いをせずには
いられなくなると
仰ってくださいました。

先日、我が家で初めて
コロナ陽性者が出ました。
そのことで直前の式典や
諸行事を自宅待機の為、
欠席することになり、
多くの方々にご迷惑
おかけしましたこと
深くお詫び申し上げます。

しかし、対処としての自宅待機の間、
家族がコロナ感染と戦っていることは
理解できるのですが、
多くの方々に
ご迷惑をかけているという
申し訳なさをもつ
私を逆なでするように、
感謝や謝罪の言葉もなく
待機解除の直前に
家族に不満の気持ちを
ぶつけてしまいました。

今月のお心を鑑みると、
感謝の心が薄かったのは
私自身の心持ちであったことが
如実になり、
そのことを教えてくれた
ご縁だったと思います。

最後に、今月は開祖さま生誕の月です。
いのちの尊さを説く法華経を、
人の希望をもった生き方として
お示しくださいました開祖さまへの
報恩感謝の誠を実践と共に
捧げさせて頂きたいものです。

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

令和4年10月度 ご法話を学んで

2022.10.1

【佼成10月号】

(朗読 MP3)



日々ありがとうございます。

過日、安倍元首相の国葬が行われました。

其々に様々な意見があることですが
私達一人ひとりも問題とするところを
整理して考えなければ大切なことを
見過ごしてしまうのではないでしょうか。

このこと一つ取っても必要なことを
ご法話として頂戴したように思います。

今月も10月号佼成
「苦悩を生むもとを知る―智慧①」
に学ばせていただきたいと存じます。

「仏さまの智慧をいただく」
の冒頭の小学4年生の詩から、
私ごとですが学生時代の部活動の風景を
思い出しました。

陸上部に所属していましたが、
グランドは野球部が
優先という暗黙知のため、
走る場所に制約があり、
やっとできた走路も砂利の混じった土で、
その時期に新たに水はけの悪い場所に
新たな土が入っただけまし、
という時に毎日練習後は
大小様々な石ころを拾うことが
必要な日課になり最初は愚痴を
言いながら渋々でしたが、
ある日全力疾走中に
小さな小石の上に乗ってしまい
捻挫したことで大事な試合に出ることが
出来なくなったことがありました。

如何にグラウンドなどの
精一杯発揮できる場所があることに
感謝が無かったかを思い知らされたことと
重なり前半の智慧は自分のなかに、
真理を認識して判断する力は
抑々誰にも具わっていることと、
必要な出来事(縁)によって
気づかせて頂いていたことを
示してくださっていると受け止めました。

後半「執着をコントロールする」では、
執着を縁として生起(せいき)する、
を鑑みるとこれまでは執着を
無くすることに傾注していましたが、
遠ざけるということは
自身の心がけ如何によっては、
順調な日々も欲望や執着にまみれて
苦悩に喘ぐ人生となる可能性を
常に持っているということとも
言えるのではないでしょうか。

だからこそ、コツコツ努力する大切さを
先達から示して頂いてきた私たちは
【常精進】の誓いをして
参ったともいえるのでしょう。

智慧を身につけるヒント
『空(くう)』については
次月更に深めて頂けるとのことですが、
今月は
「自分勝手な思いや都合で、
価値判断したりするのはやめて、
事実を素直に受け取る」
という姿勢をお教えくださいました。

簡単なことでは無いかもしれませんが、
まずはやってみようの精神で
取り組んでみようではありませんか。

先月は3年ぶりに
奈良県宗教者フォーラムの
開催を多くの方々のご理解と
ご協力によって行うことが出来ましたこと
この場をお借りして感謝申し上げます。

ありがとうございました。
その礎は宗教協力の精神を
国の内外に示してくださった
開祖さまのおかげさまです。

そして10月は開祖さまご入寂会の月です。

この教えを伝えて下さった感謝と共に、
後のことを託された私たちひとり一人が
平和の世の中をつくる努力を
自覚と誓願として菩薩行実践の旗を
打ち立てて参りたいものです。

合 掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

 

令和4年9月度ご法話を学んで

2022.9.10

【佼成9月号】

(朗読 MP3)

日々ありがとうございます。

先日、教会長会議の席上で
白さん、藤末さんから
参議院選挙に対する
ご挨拶の中で、自身への反省と
応援してくださった会員の皆さまに
感謝の言葉をいただきました。

私たち奈良教会の皆さまと共に
政治の有様や選挙の大切さなど
其々に深めることができたことは
大きな成果であったと言えますが、
結果からも多くの学びを
得たように思います。

引き続き政治に関心を持ち、
主権者である私たち一人ひとりの
為すべきことを実行して
参りたいと存じます。

それでは、9月号佼成
「信じるものがある幸せ― 禅定」
に学ばせていただきたいと存じます。

「心が乱れるのは菩薩失格か?」
ですが、
【仏の教えを学ぶ私たちは、
慈悲の心で他を思いやり、
その実践をとおして人としての
成長をめざしています。】
と菩薩行について
示してくださいました。

その心持ちを常に
持ち続けている状態を
「禅定」というのですが、
かく言う私も皆さんの
お役に立てているのだろうかと
揺れることもあります。

そのように感じるときに
菩薩として失格のような
気持になります。

それを会長先生は、
人間である以上
動揺も迷いもしないのは
むずかしい事(中略)
新たな出会いの連続です。

その中では、ときに動揺したり、
冷静さを失ったりすることもあります。

(中略)その事実をまず、
きちんと受け止めることが大切、
心が定まらないという
現実を直視すればこそ、
価値あるものを得たい、
つかみたい気持ちによって
この教え(法)に出会ったことを
思い出させていただきました。

また、迷ったり悩んだりすること、
心が揺れ動くことは
生きている証しという言葉に
大きな安心を感じたのは
私だけではないのでしょう。

「「真理という月」を見る」
の月明かりに言及して、
真理を見ようとしない人は、
闇夜を手探りで歩むときに似て、
いつも不安や焦りや恐れを
胸にかかえて生きている
ということでしょう。
と真理の光が如何に大切なのかを
お教えくださいました。

更に、あらゆるものごとは
縁によって起こるという
根本的な真理を自分の
行動、目の前の問題と
重ねあわせる習慣を身につけ、
悩みや苦しみから解放される
安心を常に感じて参りたいものです。

その心持ちが『禅定』
というのかもしれません。

先日、ある青年が
東南アジアや北アフリカなどを
バックパックで渡航した話を
伺いました。

現地の方との出会いは
どれも貴重な出会いで、
サッカーボール一つで
仲良くなるような様子を
教えて下さいました。

その彼が、
帰国して最も感動したのは
青々とした山並みや
きれいな空の色を
目にしたときだったそうです。

それは、現地ではずっと目線より
下ばかり見ていたからだったと、
目線を上にあげることが
皆無であったようです。

理由は、家畜のフンを
踏まないためでもあり、
また身の危険から
周囲に気を張る必要から
ということでした。

しかし、私たちは
当たり前のように目線を
上にあげることができます。

山や空や月の様子を目にする
ことができるのは、
大きな安心の中にある
証拠とも言えます。

情勢不安なところ
(自身に置き換えると
“とき”とも言えましょう。)
は明るく照らす月を
目にすることは難しいですが、
それでも月は私たちを優しく照
らし続けてくれていることを
忘れずにいたいものです。

今回、月明かりのお話が
ありましたが、
私の幼少期に家から銭湯への
道すがら見上げた
大きく真ん丸で目が痛くなるほどの
月明かりの記憶を思い出しました。

明るく照らす月のように
暗い道を照らされている
今の境涯に感謝し、
誰にも見上げれば
私の行き先を照らす
月明かりがあることを、
伝えて参りたいと決定いたします。
合掌

立正佼成会奈良教会長 中村浩士拝

令和4年8月度 ご法話を学んで

2022.8.1


【佼成8月号】

(朗読 MP3)



日々ありがとうございます。

ここにきてコロナ感染の再拡大にあって
身近な方々の感染や濃厚接触に
対応されている様子を見聞きされることが
多くなっているのではないでしょうか。

特に高齢者の方への感染が
重症につながる確率が高いという
一部報道もあるようですので、
お互い様に注意して感染しない行動
と共に感染していなくても感染させない
行動を率先垂範した参りましょう。

また、先月は参議院選挙にあたり
皆さんのご協力をいただき、
政治への関心を高める目標を掲げて
お取り組みと様々な検討を重ねて頂くことが
できましたこと感謝申し上げます。

選挙結果は残念な結果ではありましたが、
多くの方々が現在の状況をどのように考えて、
受け止めて国や地域のかじ取りを
託していくことが大切なのかを
深めることができとことはこれまでの
取り組みとは一線を画すことに
なったのではないでしょうか。

引き続き私たちの生活に直結する
政治に意識して精進して
参りたいと存じます。

それでは8月の佼成ご法話
『ほんとうの自分を生きる―精進②』
に学ばせていただきたいと存じます。

「人はみな球体の上の点」
ここにある一点は自身のことですが、
この一点である私の存在の尊さと
合わせてその他の存在を
忘れてはならないことを、
【太陽や水や空気を
含むすべてのものごとと、
自分以外の人によって
生かされている】
という仏教でいうと無我であり、
佼成会でいうところのおかげさまという
心の受け止め方を示してくださって
いるのではないでしょうか。

続く「天上天下唯我独尊」は
大きな全体をともに生きる絶
対的な一人ひとりとあるように、
だれもが価値ある一つの命を
共に生きる兄弟姉妹で
あることに気づかせること、
言わば精進とは真実の相のように
生かされていることに感謝して
「おかげさま」の心を
忘れないための実践だと
受け止めて参りたいものです。

「「おかげさま」をさがそう」
には前月の信仰者として
当たり前のことを当たり前に行うことを
精進と仰って頂きました。

その実践を続けるには、
普段の生活の中で
有り難いことに気づけるかが
重要と示し下さいました。

ここでは自身の不完全さに気づくことが
できるからこそ精進しようという
気概が生じるわけですが、
その精進の大切さや
価値や意味を知りえたのは、
仏法があるということが基ですが、
現実には家族や親せき、
友人や知人というサンガ(法友)
のおかげで教えを学ぶことが
できたわけです。

それは当たり前のようなこと
とも言えますが、その出会いが無ければ、
教えによって安心の人生を
歩めるようになれなかったことに
感謝が無かったように感じます。

いつもそのことに気づかせてくださるのは、
サンガの体験説法は大切な機会です。

会長先生はそれを「宝庫」と仰っています。

「苦悩から解放されたいと願って
結縁した人が、仏の教えによって、
苦しみの原因は自分の思い違いや
謝ったものの見方あったと気づかされ、
人生が一変する
―そのような体験を包み隠さず話す」

「それは生かされていることを
忘れかけていた人が

「何もかもが有り難いことばかりだった」
と気づいて感謝の生き方に転換する」

『信仰の証』
ここは私たちが精進する理由だと
言っても過言はないでしょう。

是非ともここにあるように
「生かされどおしの自分に出会う」
今月にして参りましょう。

最後に、お盆の時期に帰省やお墓参りなど
日本人として大切にされてきたことからも、
たくさんの「おかげさま」を
気付く大きな機会です。

たくさんの感謝を伝えてみることを
共々努力してみませんか。

合 掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

令和4年7月度 ご法話を学んで

2022.7.1

【佼成7月号】

(朗読 MP3)



史上最速の梅雨明けとなり、
コロナ禍の心配に重ねて
熱中症対策が必要なこの頃ですが
皆さんいかがお過ごしでしょうか。

付随して急な気温上昇に
身体の調整機能も
追いつかないお子さんや
高齢者の方々は電力不足が
危惧されている最中ですが
特に適切な体調管理にお努めください。

7月の佼成ご法話
『日常を当たり前に生きる―精進①』
に学ばせていただきたいと存じます。

前項の「精進とは」で
会長先生の「
精進、精進、また精進・・・」
には進歩・向上を目指す志を
忘れないということですが、
精進の意味するところが
わからないと尻込みする人がいるかも、
という投げかけに
(ずっと努力し続けるの?休んじゃだめなの?)
なんていう声がどこからか
聞こえてきそうですが、
開祖さまおのお言葉に安心をいただきます。

「当たり前のことを当たり前に
できる人間になってほしい」

には私たちの状況に合わせた努力の継続を
「即是道場」の姿勢として
お示しくださっているのではないでしょうか。

仏の教えを「身で読む」ことは、
実生活にある人や出来事との出会いの中に
どれだけ仏さまのような心(仏性)を
感じまた発揮をさせていただけたかがが
大切な視点となるのでしょう。

後項の「悟りと精進は一つ」の
冒頭に釈尊が自ら求められて
善行を積まれた説話ですが、
そのポイントは困っている人が喜んで
くれることにお役に立てることこそが、
幸い(幸福)であることだと拝察します。

幸せになりたいから善行を積む
というという交換意識ではなく、
そのもの(こと)が幸いである
という一体の喜びと受け止めます。

それを
『利他行によって心を磨くところに幸せがあり、
それを続けることこそが精進である』
とお示しくださいました。

「修証一等(しゅしょういっとう)」
(修行と悟りは一つ)というそうです。

しかし、信仰者としての「当たり前」を
大切なことだと認識はすれども、
「当たり前のこと」がなかなか思い通りに
できない私たちでもあります。

ただ、そのままに甘んじない心でしょうか。
「これではいけない」
と反省に至る怠け心を精進する心に
リセットすること事態がどうやら
幸せのコツのようです。

このご法の縁に恵まれた私たちは少なからず、
教えやサンガや仏さまのおかげさまで、
救われた(助かった・喜んだ・安心したなど)
という何かしら体験をお持ちでしょう。

合わせてそんな時は、
自身と同じく救われていただきたいと、
仏の教えのとおりに生きようと発心した時の
混じりけの無い向上心を感じたことを
思い出すのではないでしょうか。

その実感こそが
「このように生きようと誓う大切な
志(こころざし)」なのでしょう。

今月の実践目標に
【当たり前のことを当たり前にできる
人間になろう~三つの実践~】
とさせていただきました。

志をいつでも実感できるように
《あいさつ・返事・整理整頓》
の三つを実践して参りましょう。

現在参議院選挙の最中ですが、
今一度ご自身の意思を顕すためにも
国民の権利である投票をお願いします。

また、皆さんのご縁の方々にも漏れる
ことなくお声がけを忘れずにお願いします。

今月で今年度も半期を過ぎました。
前半を振り返りしっかり
取り組めたことは喜びとして、
失敗や反省することがあれば活かして
後半時の精進にして参りましょう。

合 掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝

令和4年6月度 ご法話を学んで

2022.6.1

【佼成6月号】

(朗読 MP3)

令和4年6月度 ご法話を学んで



コロナ禍になってはじめて
制約の無いGWをどのように
お過ごしになられたでしょうか?

壮年部が中心となって
アフリカ毛布に多くの方々に
参画頂いたことと共に、
今年次の青年の日
《5月15日(日)》は
約3年ぶりに東大寺南大門前にて
一食ユニセフ募金をコロナ対策に
注意しながらのお声掛けでしたが、
参加のお一人おひとりが精一杯に
平和のために発した一言は
多くの方々の優しい心に
届いたことと存じます。

東大寺の皆さまはじめ
ご参拝の方々のお心とご浄財を尊くも
お預かりさせていただきましたことと、
奈良教会青年部が中心となって
各支部のご協力を得て行動に
顕すことができましたこと
厚く御礼申し上げます。

6月の佼成ご法話を皆さまと
かみしめて参ります。

前月の結びにありました
「忍辱が菩薩の精進である以上、
忍辱には慈悲のはたらきとして
利他の側面があることも
忘れてはならない」
とありましたことを
より深めて頂いていると
受け止めさせていただきました。

『最高の忍辱』では良寛さんの歌から、
人の言葉や態度を見て、
自分はどうであったかと省みるとは、
人がそのように自分を評するのには、
自分にそう思わせる何かが
あるのではないかと振り返ることが
忍辱の実践とお示し下さいました。

更に、自身を害する状況であっても
お相手の心配を自然になせる、言わば、
受け入れる気持ちが起きることが
「忍辱」とお教えくださいました。

ここで、開祖さまの十功徳品のご解説から
「なんとかしてあのまちがった心を
直してあげたい―という
慈悲の心が起こってくる」
これを『最高の忍辱』と
ご紹介下さいました。

その前段にある
「教えを聞いて自他一体感が深まり、
ものごとを客観視する習慣がつくと」
とあります。そのことが、
後半にお示しくださっているようです。

『心を少し教えに向けて』
ここでいうところの功徳について、
「つらく悲しい体験によってわかること、
気づくことの一つ一つで、
受け入れがたい事もしっかりと
見据えて受け入れ、認めることで
心の器が少しずつ広がって、より柔軟に
ものごとを受け止められるようになる。

また、自身の思い違いや自己中心性に
気づくことで、生きながらに生まれ変わる
大きなチャンスにもなることも
功徳とお教えくださいました。」

私たちは「すべては自分」
という心持ちを永く
ご指導いただいてきましたが、
ここでは、自己を振り返り、
その時その場でほんの少し心を
仏の教えに向けるだけでも、
柔和忍辱の心を身につけることができる。

なぜかと言えば、私たちには本来、
仏性が具わっているからとありましたが、
最後にクモの糸の歌がありますが、
ちょうど昨夜からの大雨で
いつも私が出入りしている
教会の勝手口に張っていた
クモの巣が無くなっているのでした。

私たちと同じように奈良教会を
大事なところ(住処)に選んでくれた
仲間だと思うとクモの安否を
心配している自身に
微笑ましく感じました。

目の前に顕れてくれた存在を
素直にそのまま受け入れてみると、
ご法話のように自他一体の
心持ちを感じることが
できるのではないでしょうか。

6月は年次の折り返し地点でもあります、
コロナの状況も少しずつですが変化を
感じるとこに来たようです。

だからこそ日がな一日のなかで出会う
すべてのものごとを、受け入れてみる
忍辱の心に触れてみようではありませんか。
合 掌

立正佼成会 奈良教会長 中村浩士拝